最新の知見で往時の姿に 県立博物館・美術館館長 田名真之氏に聞く<首里城焼失3年・希望つなぎ「象徴」復興へ>


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首里城復元に向けた技術検討委員会の委員を務める田名真之県立博物館・美術館館長に意義や思いを聞いた。(聞き手・小波津智也)

―いよいよ首里城の復元工事が始まる。

「やっとこの時を迎えることができた。首里城は琉球王国の象徴で、歴史はここを舞台に繰り広げられてきた。また、美術工芸の観点でも琉球の技術力を結集した建築物でもある。それが焼失したことで多くの県民が今なお象徴であり続けていると思い返したのではないか。その首里城をよみがえらせるということは大変な意義がある」

―1992年の「平成の復元」から30年がたつ。今回の注目点は。

「この期間にさまざまな史料が発掘され、多くの知見が蓄積された。明治10年(1877年)のフランス海軍の写真が出てきて、戦前の写真では分からなかった正殿につながる南北の廊下、唐破風の模様、御庭(うなー)に敷き詰められた『磚(せん)』の状態などを確認できた。正殿の扁額も木板の基調が焼失前の赤から黄色に変わる。分かってきたことを基に往時の首里城の復元を目指している」

「資材もなるべく県産を調達し、可能な限り正殿や特徴的な部分で使えるようにしたい。磚(せん)も平成の復元では県外品を使用したが、今回は県内で製作する方針だ」

―防火対策は。

「最も重要な取り組みの一つだ。スプリンクラーを設置し、消火用の水槽も増設する。外部からも水を供給できるよう、消防専用の連結送水管も整備する。消防当局との連携も含めソフトとハード両面で取り組み、おおむね対応できる体制になっているのではないか」

―首里城周辺のまちづくりの議論も進む。

「県が主導して中城御殿や円覚寺三門の復元に加え、松崎馬場や龍潭周辺の整備について検討されている。首里城一体を歴史文化ゾーンとして整備し、多くの人に首里を歩いて堪能してもらえるようにできないかと思う」

「中城御殿では、首里城の南殿に展示していた収蔵品を移す案が議論されている。実は南殿は宴会や催しをする場であったことが分かっている。移設が実現できれば、南殿復元の際には往時の姿を再現できるのではないかと期待している」

 首里城火災から31日で3年が経過した。11月3日には起工式が行われ、正殿復元工事が本格的に始まる。正殿は沖縄最大の伝統的木造建築で、今回の「令和の復元」でも伝統的工法が用いられる。さらに平成の復元後の新たな知見も加わり、王朝時代の姿に迫る。正殿は2026年秋に完成する予定だ。


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