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石川高校生大好き「あきちゃん弁当」ネットでも人気のチキン南蛮 苦難乗り越え、続くおいしさ<高校前メシ>


この記事を書いた人 Avatar photo 田吹 遥子
「あきちゃん弁当」を切り盛りする伊波順子さん=25日、うるま市石川

 ネットでも評判のチキン南蛮、創業から受け継ぐメンチカツ…ぎっしりと丁寧に盛られた弁当が店内にずらりと並ぶ。石川高校近くの「あきちゃん弁当」は創業から25年。朗らかな笑顔が印象的な伊波順子さん(65)は「近所の人に、高校生に、常連さんに支えられたからこそ今があります」と振り返る。借金からのスタート、夫・善博さん(69)の病と失明…一時は店をたたむことも考えた順子さんが今も店に立つ理由とは。(田吹遥子)

■マイナスからのスタート

 あきちゃん弁当の創業は1997年11月だが、実はそれよりも前に近くでスーパーを経営していた。善博さんのたっての希望で始めたものの、近くに大手スーパーがオープン。業績はふるわず、2年ほどで閉店した。

 そこで背負った多額の借金を返済しながらどう生活するか――。数年前に購入した自宅を売ることも考えたが、ちょうど1階は以前の持ち主が店舗として使用していたこともあり、順子さんたちもその場所で店を開くことに行き着いた。

 当時は幼い2人の子を育てながらの生活。何の店をしようか考えていたところ、姉から「夕飯を作るついでにできるから弁当屋がいいんじゃない?」というアドバイスをもらった。そして1997年、あきちゃん弁当がオープンした。

当時を振り返る順子さん

 借金を返すという目標を抱えたマイナスからのスタート。善博さんは弁当屋以外に2つの仕事をかけもちした。朝は午前6時から親戚の雑貨店を手伝う。お昼時は弁当屋で働き、少し休んだら夕方まで雑貨店へ。そして夜はスーパーの夜勤で午前0時まで働いた。全ての仕事を終えて家に帰り着くのは深夜。子どもの寝顔をみた善博さんが「すまないねえ」と涙を流すこともあったという。

 そんな無理がたたった。オープンして4~5年がたった頃、善博さんが倒れ、救急搬送された。脳梗塞だった。善博さんが入院した1年間は順子さんが1人で店に立ち、料理から販売、洗い物まで全てを1人でこなした。「何をやったか覚えてない」というほど忙しい日々。

店内にずらりと並ぶ弁当

 そんな順子さんに声を掛けたのが近所の人たちだった。「順子さん、あんた偉いね。でも、大丈夫ね?」。そこで1日2、3 時間は近所の人たちに店を手伝ってもらい、どうにか乗り切った。「見るに見かねてという感じだったと思う。でも本当に支えられた」。

■1人の高校生がきっかけで

 あきちゃん弁当は、石川高校から8~9軒離れた場所にある。さらに校門の隣には別の弁当屋、店ができた当時は向かいにも1軒あった。学校から近い別の弁当屋に高校生が滞留するせいか、開店当初は高校生はほとんど店に来なかったという。

 高校生が通うようになったのはオープンして7年ほどたった2005年頃。ある1人の高校生が窓の外から店を覗いたことがきっかけだ。順子さんが「おいでおいで」と手を振ると店内に入り、弁当を購入。さらに「あんたそば食べる?」と100円そばをサービスすると、それも平らげて帰っていった。そして翌日、その生徒が友達を引き連れてやってきた。

 そこから、生徒間で口コミが広がるのは早かった。あっという間に多くの高校生が訪れるようになり、一時は店内に生徒たちがあふれるように。弁当が売り切れた後にやってくる生徒たちの分を作ろうと、善博さんは唐揚げなどを揚げ続けて弁当を提供した。店内の飲食スペースからあふれた高校生が、店と2階の家をつなぐ外階段にもずらりと座って弁当を食べるという光景も。「『あの店は一体なんだ』と不思議がられることもありましたよ」と順子さんは振り返った。

100円そば、みそ汁などのぼりも立つ「あきちゃん弁当」お昼時は人が絶えない。

■夫の失明、もう無理だと思ったとき

 高校生からの人気も獲得し、弁当屋として軌道に乗り始めた頃、善博さんの視野は徐々に狭くなっていった。それでも善博さんは、家族には最初このことを知らせなかった。順子さんは「辞めたくなかったんだと思う」と振り返る。それでも視野は狭くなる一方で、周囲が視界に入らず店内でぶつかることも。「特に洗い物に汚れが残ることが増えたんです。多分もう見えてなかったんだと思います。だからお父さんが店から上がった後に私が急いで洗い直したりしましたよ」。

高校に持って行く弁当を詰める順子さん

 善博さんの視力は、光がようやく感じられる程度にまで落ちた。自身でも弁当屋を続けていくことに限界を感じたのか「多分無理かもね」と話し、2016年頃に店を引退した。

 「もう店を続けること自体が無理なのかもしれない…」。順子さんは善博さんの引退で店をたたむことを考えた。しかしその時脳裏によぎったのは、常連客の顔だ。「毎年清明祭に重箱やオードブルを頼んでくれた人たちはどうなるんだろう、そして高校生たちは…。お客さんのことを考えるとやっぱりもう少し続けたくて」。

 そこである日、長男の博司さん(39)に声を掛けた。これまでも善博さんの目が見えにくくなってからは、仕事が休みの日などに手伝ってもらっていた。「もしあれだったら…お店手伝ってくれない?」。弁当屋を引き継ぐことになる誘い。「あの子のためになるのか」とためらいもあった順子さんの問いかけに、博司さんは意外にも「いいよ」と即答した。

 そこから親子二人三脚での経営が始まった。

順子さんと一緒に店を切り盛りする博司さん(左)

「この子がいるからできている」と感謝する順子さん。それに対し博司さんは「前の仕事を辞めたときだったから、ちょうどよかった」とあっけらかんと語った。

■人気メニューと「あきちゃん」の意味

 幼い頃から弁当屋を切り盛りする両親を見て育った博司さん。だが、実家が弁当屋であることを特別意識したことはなかったという。

 それでも、博司さんの弁当に対するこだわりは「善博さん以上」と順子さん。お店に加わるまで料理経験はないが、同じメニューでも味の改良を怠らない。見た目にも手を抜かず、順子さんが詰めた弁当箱の最終チェックも欠かさない。

 「博司は常に新しいことを考えているんです」。そんな研究熱心な博司さんの下で、店の人気メニュー「サバのみそ煮」「チキン南蛮」が生まれた。

記者が買ったチキン南蛮。濃いめの味付けに卵の味がはっきり分かるタルタルソース。煮卵やにんじんしりしりなどの副菜もうれしい。

 特に「サバのみそ煮」は一般の客からも人気で、ネットの口コミでは「今まで食べたさばみそで1番おいしい」との評価もあるほどだ。しかし、近頃これまで弁当で出していたのと同じサイズのサバが卸売りにもスーパーにもない。博司さんは「元々減っていましたが、ロシアとウクライナの戦争が始まった頃からサバ自体がなくなりましたね」と話す。そのため今は、サバのみそ煮は休止中だという。

継ぎ足して作る秘伝のたれ

 高校生の人気メニューである豚キムチやタコライス。味付けは中辛がいいか、甘めがいいか…高校生の好みや売れ行きに応じて、日々味を変えているという。「毎日、味見しながら、その日ごとに味を決めているので、毎日微妙に味が違うかもしれない」と博司さん。こだわりについて聞くと「絶対傷まないように作っていますね。食べるときに傷んでいないように作る時間とか考えています」と答えた。

 お昼前、話を聞いている間もお客さんが絶えない。この日は豚肉のステーキ「トンテキ」弁当、チキン南蛮弁当、2人分はあるという大きな器に入った具だくさんみそ汁などが店頭に並んだ。仕事で近くに寄ったという男性は「見た目だけでももうおいしい」とうれしそうにみそ汁とトンテキ弁当を買っていった。

「見た目だけでももうおいしい」と笑顔で弁当を買う男性

 ほぼ毎日来るという男性は、この日もチキン南蛮を買う。順子さんは「『あんた毎日で飽きないね?』と聞くんだけど『大丈夫』って言うんですよ」と笑った。

 そういえば「あきちゃん弁当」の「あきちゃん」は誰だろう。伊波、順子、善博、博司…店に関わった人たちの名に「あき」が付く人はいない…と思ったら、店には出ていない次男の亮人(あきと)さんが由来だという。

 でももう一つ意味がある。それは「飽きさせない」ということ。「おいしいって言われるとやっぱりうれしいですよね」と順子さん。人とのつながりで苦難を乗り越え、常にお客の「おいしい」を満たし続ける。「あきちゃん弁当」の原点がそこにある気がした。

いつも笑顔で店にたつ2人

 

高校前メシ

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