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首里高前で45年続く「純」 その誕生秘話…今も変わらぬミルクぜんざいの味<高校前メシ>


この記事を書いた人 Avatar photo 座波 幸代
首里高校向かいにある沖縄ぜんざいの店「純」=那覇市首里山川町

 「ちゃんぽーん」「ミルクぜんざい~」。このフレーズだけで、どこの食堂か分かるのは、恐らく首里高校の卒業生だろう。那覇市の首里高校の向かい、御食事の店(現在は沖縄ぜんざいの店)「純」(那覇市首里山川町)は1976年11月のオープンから今年で45年。高校生や地元の人たちに愛され続けている憩いの場所だ。カウンターにあるノートに注文を書くと、おばさんが注文を読み上げる。奥のキッチンで、白いTシャツのおじさんが黙々と鍋を振るう。出来上がると、おばさんが客席に向けて「ちゃんぽーん」「野菜いため~」「ミルクぜんざい~」と合図する。食器の上げ下げやお冷やなどはセルフサービス。そんな純の味は、高校時代の思い出と共に多くの卒業生の胸に刻まれているはずだ。

なんと、あのふわふわ氷を作り出すかき氷機を初めて見せてもらった

■きっかけは新聞広告

 「おじさん」こと安慶名文雄さん=久米島町出身=と、「おばさん」こと美智子さん=那覇市首里出身=が二人三脚で営んできた「純」。そのスタートに、実は琉球新報が関わっていた。

 

 2人の出会いは、文雄さん22歳、美智子さん21歳の時。那覇市の栄町にあったというすし屋で、文雄さんはすし職人として、美智子さんはアルバイトで働いていた。「なんとなく意識せずに気付いたら一緒にいた」という2人。ほどなく娘が生まれた。

 

 美智子さんの実家は那覇市首里汀良町で琉球新報の販売店を営んでいた。ある日、琉球新報の紙面をめくっていると目に飛び込んだのは「店舗譲ります」という新聞広告。これこそが「純」の物件だった。2人は即決。もともと「純」という名前の食堂だった場所を借り、名前も「呼びやすいからそのまま使おう」と御食事の店「純」がスタートした。

 店の壁にはメニューがずらりと並んでいた。沖縄そば、焼きめし、オムライス、焼きそば、野菜炒め、カツ丼、味噌汁、ゴーヤーチャンプルー、へちまの味噌煮、フーチャンプルー、カレーライス、カレーそば、カレーうどん、もやし炒め、などなど。一体、全部で何種類あったのか。

 

 首里高を卒業して今年で28年になる記者は、残念ながら全メニューを制覇するには至っていない。とにかくお気に入りは、ちゃんぽんだった。沖縄でちゃんぽんと言えば、野菜とポークやコンビーフなどを炒めたものを卵でとじて、ご飯の上にのせる料理。いいあんべー(いい具合)にとろりとした卵に包まれ、キャベツ、ポーク、にんじんなどが絶妙な味わいと食感を醸し出す。ごはんが止まらない。ちゃんぽんを初めて食べたのも純。以来、純のちゃんぽんを超えるものには一度たりとも出合っていない。

 

 冷やし物は、ぜんざい、ミルクぜんざい、ミルク金時、みぞれ、ミルクみぞれ。口の中にスプーンを運んだ瞬間、綿あめのようにさっと溶けるふわふわの氷がたまらない。これぞ純。程よい甘さの豆と氷のハーモニーがこれまた極上だ。暑い暑い夏休みの部活の後、店に駆け込むと、まずは食前のミルクぜんざいを堪能。それからちゃんぽんでおなかを満たし、仕上げに食後のミルクぜんざい、という豪華セットを食べることができたのは、純の「学割」のおかげだった。全てのメニューが手頃な価格の上に、首里高生は50円引きという「学割」の恩恵を受けることができた。

 

 

「ミルクみぞれ~」の合図と共に、ふわふわ氷こんもりのミルクみぞれができた

■卒業生の新年会も

 

 豊富なウチナーメニューの中でも、一番人気は「やっぱり高校生はちゃんぽんだったね。あとは焼きめし、オムライスかな」(美智子さん)という。ちゃんぽんは店のオープンから1年ほどたった時に、当時働いていたバイト生に勧められてメニューに追加したのだという。

 

 お昼時には、首里高の先生たちからの注文も入り、美智子さんは小さな体でおぼんにいくつも料理を載せ、出前に走った。「先生たちからは野菜炒めが人気だったね。建物の4階、5階まで運んださあ」と振り返る。

 

 働き者の2人は、年末と正月三が日以外は毎日、店を開けた。文雄さんは午前4時からそばのスープの仕込みに入る。美智子さんは金時豆と黒砂糖を3時間ほどことこと炊いて冷やし物の下準備をする。大みそかに大掃除を終えると、元日は部活生を中心に首里高の卒業生が新年会として集った。2003年には家主から場所を譲り受け、安慶名家の住居兼店舗となった。寡黙に見えた文雄さんは、実はお酒が好きで世話好きな人だったという。「首里高生は昔も今もみんな優しくてお利口さん。でも、昔の子たちの方が活気があったね」と美智子さんは語る。

カウンター越し、奥のキッチンでいつもおじさんは鍋を振るっていた

■おじさん天国へ…そして「純」の第2章

 2020年10月、文雄さんは急逝した。享年67歳。「朝からお酒を飲みながらタバコをふかして毎日働いて、病院・薬ウトゥルー(怖がり)だったさ。病名も何も、急に病院に運ばれてそのまま亡くなった。好きなように生きて、やりたいようにやって、いい人生だったと思うよ」

 

 その後、一時期店を閉めていたが、美智子さんは冷やし物オンリーで「沖縄ぜんざいの店 純」として店を再開した。二人三脚で店を始めてから45年。「まさかこんなに長く続けられるとは思ってもいなかった」と語る。休みなく働き続けた毎日だったが、「働くのは苦ではなかったよ。子どもが小さい時は、どこにも連れて行ってあげられなくて申し訳ないなと思った時はあったけどね」と振り返る。

冷やし物のメニューの下に貼ってある制服の無償提供のお願い

 今は「一人でのんびりやっていこう」と気楽にマイペースに働き続ける。前々からやりたかった制服リサイクルの橋渡しも始めた。卒業後に不要になる制服や体育着などを、経済的に厳しく、必要としている家庭に無償で提供する取り組み。壁には「制服のご提供ありがとうございます」「あなたの未来にたくさんの幸せがありますように」と丁寧な手書きの紙が貼られている。

 

 今年は新型コロナウイルスの影響もあり、休業を余儀なくされた時期もあった。だが、67歳の美智子さんはいつもと変わらぬペースだ。3人の孫は、上は高校生で下はまだベビー。文雄さんは生前、「孫たちが高校卒業したら、店を終わろうかな」と話していたという。

 

 美智子さんは「今は80歳まで頑張ろうと思っているよ。そこから娘にバトンタッチして続けてもらおうかな。娘にはまだ話していないけど」と笑顔で語った。

首里高生を魅了する純のミルクぜんざい

 1杯のぜんざいで、何時間もたわいもないことを友達と語り合い、悩みを打ち明け合い、笑っていられた高校時代。首里高周辺の思い出の店がどんどん減っていく中、おばさんの「ミルクぜんざい~」の声に癒やされ、10代のころの新鮮な気持ちをふと思い起こす。純のちゃんぽんはもう食べられないけれど、ぜんざいとおばさんの笑顔は今も変わらず、高校生たちの思い出を彩っている。

 (座波幸代)

高校前メシ

あなたが高校時代、お昼休みや放課後に通っていたお店はどこですか?思い出の「高校前メシ」を記者が訪ねました。WEB限定の連載です。

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