成果上げる「座り込み」 辺野古に行きたい<斎藤幸平の沖縄見聞録>上


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 「辺野古に行きたい」。11月下旬、琉球新報とNHK沖縄放送局主催の沖縄本土復帰50年のシンポジウムに登壇する際、担当記者の方にお願いした。

 沖縄は修学旅行以来だったが、どうしても行きたかった。11月に、ひろゆき氏が、辺野古基地建設反対の座り込みをやゆし、沖縄の人の日本語がおかしいとする差別発言が炎上した。彼の発言には、私も怒り、Abemaのスタジオ前での抗議活動にも参加した。

 でも、それ以上に私がショックを受けたのは、彼自身の言動よりも、数十万もの人がひろゆき氏の発言に「いいね」をつけた事実だった。高校時代に今で言うネトウヨっぽい言説に触れていたこともあり、きっと人生のボタンが少しかけ違っていれば、その一人になっていたかもしれないという思いがいつも脳裏にある。

 辺野古の座り込み抗議の現場は、想像していた姿と大きく違った。15時から人が集まって、座り込みが始まるらしいが、そもそも時間が決まっているというのは意外だ。不意打ちとかないのか。座り込みをしている人も少ない。辺野古住民はいない。怒号や小競り合いは一切なく、一通り抗議活動が終わると自発的にトラックに道を譲っていた。

 コンクリートブロックを積んだり、けが人や逮捕者が出たりするまで抗議するイメージは覆された。それに、警察側も抗議を黙認しているような姿勢は意外だ。抗議が長引く中で、「儀式化」してしまったような印象さえ受けた。確かに、これを外野がやゆするのは簡単だろう。

 だが、山城博治さん(沖縄平和運動センター顧問)の話から浮かび上がった実態は、見かけとは大きく違った。この一見すると「真剣みのない」やり方でも、警備員手配の関係から、土砂搬入は1日3回の特定の時間に限定されるのだという。その結果、建設開始から8年たってもまだ10%ほどの土砂しか入っていない。那覇空港の第2滑走路が2年ほどで完成したことを考えれば、「妥協的」な抗議活動は、確実な成果を上げているのだ。

 皮肉にも、この成果ゆえに、抗議活動はまだ10年以上続く。だから、無理はできない。すべては長期戦に向けた戦術だったのだ。「やゆされても、できることを続ける」という山城さんの言葉に、人生を懸けた覚悟を感じた。

 「ぼくはウーバーで捻挫し、山でシカと闘い、水俣で泣いた」(KADOKAWA)では、「現場で学ぶ」ことの重要性を強調したが、現場に来ないと分からないことは確実にある。ただし、現場に来ればすべてが分かるわけではない。話を聞けなかった辺野古の住民にも、次は話を聞いてみたい。でもその前に、きっと身近にもいる「いいね」をつけた人たちに、学んだことを伝えるのが、私の責務だ。

(東大准教授)

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 琉球新報社とNHK沖縄放送局が開いた、沖縄の日本復帰50年記念シンポジウム「50年後の沖縄へ 守るべきもの・変えたいこと」に参加するため11月18日から5日間、沖縄を訪れた斎藤幸平さんは名護市の辺野古新基地建設現場を訪れたり、子どもの貧困問題に取り組む関係者と面談したりした。斎藤さんに感じたことや考えたことについて寄稿してもらった。


 斎藤幸平氏(さいとう・こうへい) 1987年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科准教授。ドイッチャー記念賞を日本人初、歴代最年少で受賞。著書に「ぼくはウーバーで捻挫し、山でシカと闘い、水俣で泣いた」「大洪水の前に」「人新世の『資本論』」。