【評伝・中山きくさん】学友の無念を胸に生き抜いた戦後 青春語り平和求め


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「白梅の乙女たち」の像の前で、高校生に沖縄戦体験について語る中山きくさん=2011年11月、那覇市の松山公園

 中山きくさんが青春を振り返ることは、戦場で亡くなった学友たちの無念と向き合うことだった。死に直面し、さまよった糸満市摩文仁の海岸を思い起こすことでもあった。つらかったに違いない。

 それでも青春を振り返り、語ることをやめなかった。若い世代に体験を伝え続けた。そうすることで戦争を拒否し、平和を築くのだという役割を自らに課したのであろう。訃報に接し、戦争で奪われた自身の青春を語り続けた中山さんの確固たる使命感が胸に響いてくる。

 自身の体験を語り始めたのは1995年、「平和への道しるべ 白梅学徒看護隊の記録」の編集委員を務めたことがきっかけだ。

 女子学徒隊生存者のまとめ役を果たしたことが活動の中でも特筆されよう。99年には女子学徒隊の生存者でつくる「青春を語る会」の結成に参加し、後に代表に就任している。ひめゆりや自身が所属した白梅だけでなく、女子学徒隊全体の体験継承に努めた。

 その成果は2006年に出版した証言集「沖縄戦の全女子学徒隊」に結実した。中山さんは「戦争によってかけがえのない人生を絶たれた彼女たちの死は、私たちの生涯の悲しみであり、『二度と過ちを犯してはならない』との悲願でもある」と記している。犠牲となった学友の無念を胸に戦後を生きる決意が文面ににじんでいる。

 沖縄戦の実相をゆがめる動きには異議を申し立て、抵抗した。2007年、高校生歴史教科書における「集団自決」(強制集団死)の記述をゆがめる教科書検定意見の撤回を求める県民運動の中心メンバーとして活動した。

 当時、東京の要請行動を取材した。小柄ながら、どの集会でもその姿は目立った。「私の青春は戦争一色だった。沖縄戦を覆い隠そうとする検定意見は苦痛そのものだ」という訴えは並み居る国会議員らの心を揺さぶったはずだ。

 検定意見を撤回させるまで一歩も引かないという中山さんの強い意思を感じさせた。

 昨年12月、政府は安保関連3文書を閣議決定した。今年に入り、在沖米軍や自衛隊の増強を報じる記事が新聞紙面を埋めている。いやでも「新たな戦前」という言葉が浮かんでくる。その中で県内21の旧制中学・師範学校の同窓生でつくる「元全学徒の会」が軍備増強に反対する声明を出した(13日付け琉球新報)。戦争で青春を奪われた元学徒たちの切実な訴えだ。それは中山さんの願いでもあっただろう。

 中山さんは若い世代に戦争体験を継承することにこだわり続けた。その活動を支える若い世代の輪は広がりを見せている。戦争を学び、平和を築く歩みはこれからも続く。バトンは受け継がれたのだ。

 沖縄戦の悲劇が再び起きぬよう願い、青春を語り続けた中山さんに感謝したい。そして、バトンを受け取った世代としての役割を果たしていきたい。

(論説委員長・小那覇安剛)