人生の分岐点 “自分らしい生き方”追求 崎原末子(フレンズ&5代表取締役)<女性たち発・うちなー語らな>


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 40歳代突入を機に、生活にも飽き、全ての環境を変えたくて、また真剣に“将来の自分像”を考え、思い切って22年間、勤めていた会社に辞表を書いた。次の仕事も決まっていなかったが、自然と同じ業種、保険代理店として起業した。その先がまったく想像できなかったが、42歳でエイ! とセカンドキャリアをスタートさせた。さらに10年後に法人化した。

 全ての責任は自分にある環境はとても性に合っていて、いつも兄夫婦に依存していた母の世話も、少しは手伝えるようになったのは救いだった。仕事とボランティア活動以外は3日も続かなかった私が、なぜか新たに出合った気功教室と女性の翼は今も楽しく続いている。

 求道無限を地で行く師や仲間との時間は新鮮で、仕事や私生活でやっと活力ある自分になっていた。毎日微熱気味の体調も健康体になったと思う。これまで知らないことがこんなにあったんだと好奇心や探求心までも発露し今に至っている。

 自然と仕事にも恵まれた。約30年前、所属していたボランティア団体が開催したセミナーの講師の言葉が印象に残っている。「良き師、良き友、良き本」との出会いが大事であるという話だった。社会人生活に大いに励みになった。以後、その三つの道しるべに支えられてきた。私にとって良き本の一つが、五木寛之氏の「孤独のすすめ」である。

 人生は「青春・朱夏・白秋・玄冬」の四つの季節が巡っていくのが自然の摂理であり、青春と朱夏を登山、白秋と玄冬を下山という考えに共感した。50歳台は人生の折り返し地点と覚悟する必要がある。じっくり腰を据え、朱夏から白秋の自分を楽しみたい。これからは視界良好で希望に満ちた下山と行きたい。

 人には“時”があるのだという。遅い気づきかもしれないが、今なら若い頃、過剰に自分を意識して、外に外に気持ちが向いていた元気な私と、本来の内向的な自分との心と体のバランスを崩していたのだと分かるような気がする。時間に使われていて自分を見失っていた時も多かったのではないか。

 生活の全てが変わった私のセカンドキャリアは、とても生きやすく楽になった。自立も自律も達成し良かったなと思う。“自分らしく生きる”ことの積み重ねは、楽しいことばかりではない。挫折や困難があっても、その先の自分を諦めないで、笑顔でゆる~く前向きに生きていきたいと願うようになった。

 私たちは、さまざまな場面で己に厳しい生き癖が出てしまい、行動範囲と思考が縛られることが多々ある。弱さを認め、いつも複数の選択肢とともに、楽しそうかどうかで定年後の過ごし方や新しいキャリアを始めてもよいのではと思う。そこには想像もできない新しい世界が広がっている。