東日本大震災の発生後、福島第2原発に寝泊まりし、作業に当たった元東京電力社員の平裕一さん(38)=那覇市出身。居住制限がない広野町にできたプレハブの仮設寮に入居したのは2011年7月だった。事故発生から約3年半が過ぎた14年10月、第2原発から第1原発へ異動に。決まった時は「やっと第1でできる」と高揚した。「日本で一番注目される現場。やりがいがある」
事故後初めて足を踏み入れ、思っていた以上に困難だと感じた。敷地内には高線量のがれきも残っており、震災の影響は色濃かった。ちょうど汚染水対策が本格化した時期。熱中症になる作業員なども多かった。
気の抜けない現場。精神的にも肉体的にもつらく感じることもあったが「廃炉に向けてできるのは、自分たちしかいない」と気持ちを保った。
第1原発には21年9月まで約7年働いた。のべ何万人もの協力企業の人たちと作業に当たり、自身が関わった工事では一度も災害を起こさなかった。「無災害はひそかな誇り。本当にみんなが助けてくれた」。周辺では除染やインフラ整備が進み、避難区域は縮小した。ただ、依然として避難解除されていない区域も残る。
東京電力ホールディングスと中部電力が設立した発電会社「JERA」に転籍し、21年10月からは広野火力発電所で勤務している。「原子力が動いていない状態でも火力で補い、電力の安定供給に向けて、信頼される運転に貢献したい」
東電時代、事故を起こした企業の社員という葛藤もあったが「僕個人に対して嫌なことを言う人はいなかった」。発生直後に避難所で親しくなった地元の人とは、今も家族ぐるみで付き合いがある。09年から住み始めた福島は「第2の故郷」。福島の火力発電所で安全第一の環境をつくり、無事故・無災害を続けることが復興につながると信じている。
(前森智香子)