BEGIN、デニー知事らが追悼コメント寄せる 「かっちゃん」の人柄、功績偲ぶ 23日に家族葬「ロックセレモニー」


この記事を書いた人 琉球新報社
昨年のピースフルラブ・ロックフェスティバルに出演するかっちゃん(中央)=2022年7月9日、沖縄市のコザ・ミュージックタウン音楽広場(喜瀨守昭撮影)

 「オキナワンロック」の先駆者の一人で、レジェンドとして知られるミュージシャンの「ヒゲのかっちゃん」こと川満勝弘(かわみつ・かつひろ)さんが20日夜に死去したことを受け、生前に関わりがあった音楽関係者らから追悼のコメントが相次いだ。BEGINは21日、メディア向けに文書でコメントを発表し、「最後のアルバムを一緒にレコーディング出来た事、光栄でした。かっちゃんまた『うた』の中で会おうね」と偲んだ。沖縄県も「県内外の音楽シーンに影響を与えるなど、沖縄県の芸術文化の振興にも貢献されました」と玉城デニー知事のコメントを発表し、功績をたたえた。

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 川満さんは20日午後8時40分、病気療養中のところ沖縄市内の自宅で死去した。78歳。葬儀は23日午後1時半から、沖縄市沖縄市倉敷111の5、沖縄葬斎場で近親者や家族のみで「ロックセレモニー」として開く。喪主は内縁の妻吉岡紀子さん。

 川満さんは1944年生まれ。宮古島出身。10歳の頃コザに移り住み、高校卒業後の64年、エレキバンド「ウィスパーズ」のドラムとして音楽活動を開始。同バンドの勢力的な活動に刺激を受け、いくつものバンドが誕生。コザを中心に、65年前後の爆発的なエレキブーム、ロックの芽生えとなる火つけ役となった。

 インフィニティ、ジグザグを経て、71年に「コンディショングリーン」を結成。強烈なサウンドと奇抜なステージで人気を集め、ロックバンド「紫」と沖縄ロックの黄金時代をけん引した。伝説のロックバンドとして一世を風靡(ふうび)した。

 県内の若手から実力派までそろう、沖縄のロックの祭典「ピースフルラブ・ロックフェスティバル」には第1回大会からほぼ毎年参加。フェスの顔の一人として盛り上げてきた。

 2010年12月には、長年の川満さんの功績をたたえようと、市民の企画で「生前葬」が開かれた話題を呼んだ。同年にミュージシャン(音楽家)では初めて、沖縄市技能功労者表彰。14年度県文化功労者「芸術文化・ロック」に選ばれた。

【BEGIN​が発表した追悼コメント全文】

 かっちゃんがもう少しテレ屋じゃなかったら国民的な歌手になっていましたよね。

 ボーカリストに必要な全てを持っている人でした。忌野清志郎さんや鮎川誠さんともかっちゃんの話で爆笑しました。

 桑田佳祐さんにかっちゃんのライブDVDをプレゼントした事もありました。

 最後のアルバムを一緒にレコーディング出来た事、光栄でした。

 かっちゃんまた「うた」の中で会おうね。

 BEGIN

 

【玉城デニー知事が発表したコメント全文】

 川満勝弘氏逝去についてのコメント

 「ヒゲのかっちゃん」こと川満勝弘氏の突然の訃報に接し、心からお悔やみ申し上げます。

 川満氏は「ウィスパーズ」のドラムとして音楽活動を始められ、後に伝説のロックバンド「コンディショングリーン」を結成されました。

 「オキナワン・ロック」の草分けとしてロック界をけん引し、県内で開催される「ピースフルラブ・ロックフェスティバル」では、強烈なパフォーマンスで多くの観客を魅了し、人々に親しまれてきました。

 独創的な演奏活動を通して、多様性に満ちた音楽文化の発展に寄与され、また、県内外の音楽シーンに影響を与えるなど、沖縄県の芸術文化の振興にも貢献されました。  今は故人の御冥福をお祈りするとともに、御家族の皆様に謹んで哀悼の意を申し上げます。

 令和5年4月21日 沖縄県知事 玉城デニー

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