その向こうに成長した自分 「失敗」を「経験」に 富原加奈子(県経営協女性リーダー顧問)<女性たち発・うちなー語らな>


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富原加奈子

 昭和が終わる少し前、大学4年の私は東京で就職活動をしていた。と言っても、男女雇用機会均等法もなく、募集は男子学生ばかり。女性の就職は結婚前の腰かけのイメージで「短大卒・自宅通勤者」と、あからさまに「地方出身4大卒女子お断り!」の時代だった。そういえば、そのころの女性用の名刺は、男性より一回り小さく角が丸いかわいいもの。その時代が求めていたのはそんな女性の立ち位置だったのだろう。振り返るとびっくりするようなことも、その時代では常識。もっとも、令和になった今も昭和的な価値観があちこちに残っているのも事実だ。

 さて、お正月明けのすぐのころ、人づてに、当時参議院議員だった稲嶺一郎議員の事務所で女性秘書を急募していると聞く。議員会館見たさもあり、ダメもとで応募した。あとで聞くと応募者は私以外全員県外出身者。面接や筆記試験の結果以上に、難しい沖縄の地名や名字が分かるのは強みだったと思う。私は幸運にも就職することになった。

 稲嶺事務所はとにかく来客が多かった。地元の方々はもちろんのこと、海外での幅広い人脈に加え、自民党の外交部会長や参議院の外務委員長を歴任していたこともあり、外国からの訪問者も多かった。中でも、インドネシア、タイ、マレーシア、カンボジアなど、変化の渦中にあるアジアの国々の切実な課題を肌で感じる場所だった。地元からの陳情団の方々とは、沖縄の産業振興について話し込むことが頻繁だった。議論する中で、もっと中長期的視点が必要だなどと意見する場面も度々あり、稲嶺事務所に行くと叱られるとうわさされていたそうだ。

 そんな、常に熱く語る一郎先生だったが、ことあるごとに話題にする逸話があった。それは自動車王フォードの話だ。ある記者が彼にインタビューを申し込んだ。これまでたくさんの失敗を重ねて成功者となった、あなたの失敗談を聞かせてほしいと言う。するとフォードは答えた。「私は失敗したことはない。たくさんの経験はしたけどね」。正直、その時の若い私には、この話の本当の意味は分かっていなかった。

 しかし、時がたつにつれ、私自身たくさんの失敗を重ねていく中で、その言葉の重みを次第に実感する。へこんでへこんで逃げ出したくなる度に思い出す。「これは経験なんだ。この向こうにはもっと成長した自分がいるはずだ。だからもう一度頑張ろう!」。あれからどれだけの時がたったのだろう。改めて、この幸運なご縁に心から感謝したい。

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 とみはら・かなこ 久米島町出身。りゅうせき創業者稲嶺一郎元参院議員秘書、同社の総務、経営企画、営業、事業開発などを経験。2011年常務取締役、14~19年りゅうせき商事社長。18年、県経営協女性リーダー部会長を経て現在顧問。琉球銀行社外取締役・琉大非常勤理事。