【キングス優勝おめでとう】若い!懐かしい! 貴重な10枚の写真で振り返るbjリーグ時代


この記事を書いた人 琉球新報社

 Bリーグの2022-23シーズンは、琉球ゴールデンキングスが年間王者を決めるチャンピオンシップ(CS)を無傷の6連勝で勝ち抜き、悲願の初優勝を成し遂げた。ついに日本バスケットボール界の頂点に上りつめたキングス。最下位だった1年目から名の通り「王者」になるまで、歴史を彩ってきた選手達を琉球新報が撮りためた貴重な写真で振り返る。

■bjリーグ時代(2007~2016年

 地域に根ざした本格的なプロリーグの創設を掲げ、2005年に旗揚げしたのが「bjリーグ」だった。翌2006年、バスケットボールの盛んな沖縄を拠点とするプロ球団として琉球ゴールデンキングスがbjリーグへの新規参入に名乗りを上げ、運営会社である沖縄バスケットボール株式会社が設立された。

 2007年11月に開幕した07ー08シーズンに参戦し、歴史的な一歩を踏み出した。初年度はリーグ最下位と厚い壁に阻まれたが、翌シーズンは新たに招聘(しょうへい)した桶谷大ヘッドコーチの下、2年目にしてbjリーグ制覇を成し遂げた。その後は常勝軍団としてリーグに君臨し、bjリーグがBリーグに移行するまでの10年でリーグ最多の優勝4回を記録。人気と実力を兼ね備えたチームとして新興のbjリーグの成功をけん引した。

参入初年度のbjリーグの開幕を前に、県出身の澤岻直人、山城吉超、金城茂之ら契約選手が紹介されたチーム発表記者会見=2007年8月29日、那覇市の産業支援センター
桶谷HCの下、快進撃を続けた2年目の琉球ゴールデンキングス。東京との優勝決定戦に89-82で勝利し、初の優勝を抱き合って喜ぶ選手たち=2009年5月17日、有明コロシアム
3度目の優勝を果たした2013-14シーズン。優勝を決めベンチ前でダンスを踊る琉球ゴールデンキングスの選手ら=2014年5月25日、東京都の有明コロシアム
キャプテンの金城茂之と抱き合い涙を流す伊佐勉ヘッドコーチ=2014年5月25日、東京都の有明コロシアム

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■記憶に残る名プレーヤーたち

 キングスの土台がつくられたbjリーグ時代。地域も一体となったチームづくりには、創設期のエース・澤岻直人をはじめ地元出身選手の存在が大きかった。そして、個性あふれる外国人選手がエキサイティングなバスケットと勝利への執念をチームにもたらした。今もブースターの記憶に残る主な選手を紹介する。

球団創設時の2007年から12季所属した金城茂之。長髪を束ねた独特の風貌とガッツあふれるプレーでブースターを魅了した。
2009~13年の4季にわたりキングスの主将を務めた与那嶺翼。身長173センチながらスピードとテクニック、運動量で果敢に挑むスタイルでブースターの胸を熱くした。
球団創設時からキングス一筋で7年間在籍し、ひときわ目を引くキャラクターでブースターに愛された山城吉超。189センチ、105キロの大型フォワードとして3度のリーグ制覇にも貢献
2008—09シーズンに加入したジェフ・ニュートン。初年度は最下位に沈んだキングスを常勝集団に変えた。13—14シーズン終了後にキングスを退団し、現役生活に幕を下ろした。背番号50はチームの永久欠番になっている。
「マック」ことアンソニー・マクヘンリーもクラブ創立2年目にキングスに加入した。爆発的な得点力を誇るフォワードとしてbj時代の4度の優勝全てに貢献した。Bリーグが発足した2016-17シーズンまで9年間在籍。40歳となった今シーズンも信州ブレイブウォリアーズでプレーを続けている。
現在のキングスを背負って立つ岸本隆一(屋部中−北中城高−大東文化大)が入団したのは2013年。入団会見で背番号14のユニホームを手にするその表情には初々しさにあふれている=2013年1月31日、宜野湾市の球団フロントオフィス

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