「日本は戦争に勝つ…」崩れた期待、目にした光景 嘉数さん「軍隊、住民を守らない」


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自宅の玄関先で日本軍の壕があった場所などについて説明する嘉数陽之男さん=22日、豊見城市平良

米兵迫り、息子の首に手を掛けた母 激戦地をさまよった嘉数陽之男さん(84)親子「母もつらかった。戦争は地獄だ」

 

 嘉数陽之男(よしお)さん(84)=豊見城市平良、沖縄戦当時6歳=の戦争の記憶は1944年夏ごろに始まる。屋敷に日本兵3人が駐留したからだ。豊見城村内の民家に分散した日本軍は、字のあちこちに防空壕を掘った。嘉数さんの家の敷地内にもあった。「屋敷の両側に戦車が入るほどの大きな壕があった」という。しかし日本兵に悪い印象はなかった。「日本は戦争に勝つという信じていたから」と振り返る。

 そんな頃、思いがけない出来事が起きた。嘉数さんの祖父にスパイの疑いがかけられた。「家の敷地内の壕をのぞいただけだった。じいさんは方言しか話せないから家族は青ざめたよ」。屋敷にいた日本兵が間に入り、祖父は解放された。

 豊見城村史(6巻)によると45年5月末ごろ、役場からの連絡で平良の字民は南部に避難を始める。嘉数さんたちも同時期に移動したと考えられるが、嘉数さんの記憶にあるのは、ある日急にパニック状態で避難したことだ。「米軍がすぐに攻めてくるという情報が入り、恐怖に駆られたのではないか」と推測する。

 日中は林に隠れ、日が暮れると歩いた。日本軍が隠れている壕に入ることはできなかった。御嶽(うたき)の茂みに隠れて米軍の集中砲撃を浴びた。

 同じ平良に住む男性が逃げる道中、母の侑貴子さんに手りゅう弾を差し出した。中国から帰還した元日本兵だった。中国でどれだけ多くの人に残虐行為をしたか、よく自慢していた男性だった。侑貴子さんは自決をきっぱり断ったが、嘉数さんたちがその場を離れた後、男性は手りゅう弾で自死した。年の近い友人2人も巻き込まれた。

 「本当に日本は勝つと信じていた。米兵は青い目の鬼だと思っていた。でも結局、軍隊は住民を守らない。住民を守るためにいるわけでなはい。それは勘違いしてはいけないんだ」と嘉数さんは言い切る。「今言われる台湾有事をうのみにして、米国に追随することが本当に正しいのか。冷静に判断する必要がある」と話した。
 (岩崎みどり)