人気バスケットボール漫画「スラムダンク」を新たに映画化した「THE FIRST SLAM DUNK」で宮城リョータ役を演じたのは、沖縄県宜野湾市出身の声優・仲村宗悟(しゅうご)さんだ。声優だけでなくアーティストとしても活動している。人気声優のスターダムを駆け上がる仲村さんだが、上京当初は挫折も味わった。これまでの道のりと大事にしていること、沖縄への思いを聞いた。(文化芸能班・田吹遥子)
■「仲村さんのままで」 井上雄彦さんからの言葉
―映画「THE FIRST SLAM DUNK」スラムダンクの宮城リョータ役に決まった時の気持ちは。
「スラムダンク」を映画化すること自体に驚いたし、オーディションのお話がくることにもとにかく驚きましたね。オーディションを受けて、受かったと連絡をいただいた時は(うれしくて)ちょっと飛び跳ねました。
―周りからの反響は。
めちゃくちゃありました。上映されてから、ありがたいことにたくさんの方が見てくれて、僕の友人たちも見に行ったよって連絡くれて。映画が終わって、1番最初にクレジットが流れてきたのでびっくりしたと聞きました。

―宮城リョータは沖縄育ち。沖縄という共通点が役作りに影響した部分は。
(宮城リョータが)沖縄育ちということが明かされたのはこの映画からで、僕もすごく驚きました。ただベースは標準語なので、沖縄らしさを普段から、がっつり意識したわけではないです。一部分沖縄なまりのところがあるんですが、自然とポロっとこぼれるのは、やっぱり沖縄で育ったからなんだなと思いました。
―宮城リョータを演じる上で心がけていたことは。
自分の中で演じるにあたって、こうした方がいいのかな、ああした方がいいのかなということをめちゃくちゃ考えて、(現場に)持っていったんです。けれど、自然なお芝居が求められる現場だったので、そういう凝り固まった考えを脱ぎ捨ててお芝居をした方がうまくいきました。「自然に」がキーワードでした。井上雄彦監督にも「仲村さんのそのままでやっていただければリョータになると思います」と言っていただけて。
―実際やってみて難しかった部分は。
元々原作にあるセリフだと、決めて言いたくなっちゃう部分があるんですけども、それを(自然に言うために)逆に抜き取っていく作業でした。難しさを感じましたが、そういう経験ができてよかったなと思います。
―宮城リョータは沖縄で育って沖縄を出て、神奈川県の高校に入る。仲村さんも沖縄で育って東京に出てきた。重ね合わせる部分はあったか。
東京に出てきて最初の頃、初めてのことばかりで、期待もあったけど不安もやっぱり大きくて。僕は、リョータほどではなかったけれど、不安は不安でしたね。そういう部分の気持ちは分かります。

■アーティスト目指し上京も介護のバイトがメインに…人気声優までの道のり
―声優を目指したのはいつからか。
沖縄で高校を卒業して、18の時に上京しました。元々は音楽でデビューを目指していました。フリーターをしながら小さいライブハウスでライブするという生活をしていたんです。でも、だんだんライブする回数も減ってきて。ライブはお客さんを呼べないと、お金も出ていく一方なんです。お客さんを1人も呼べない時とかもあり、ほとんどライブもしなくなって。その時は介護の仕事をしていたんです。もう3年半ぐらい、ハンディを持った方の介護の仕事をずっとしていた。それがメインになって、音楽活動をしなくなっていきましたね。
当時、周囲に音楽をやりながら芝居をやっている人がいたので、そのお芝居をよく見に行っていたんです。何度も見に行っているうちに、いつの間にか興味が出てきて。その人に「どこで習っているの」と聞いたら、今の事務所につながる、声優を目指す学校でした。その時は声優についてあまり分からなかったんですけど、やっていくうちにのめり込んでいきました。
―養成所に通う中で声優の道に進もうと思った。
そうですね、養成所には1年半通ったんですが、習っていくうちに声優の魅力にだんだん気付いていきました。
―声優の魅力とは。
やっぱり、声のお芝居ってすごく特殊で。自分の体を動かしているわけではないけれど、声では動いているように見えたりとか、聞こえたりとか。そういう専門的な部分、ちょっと職人気質な部分に魅力を感じましたね。
―養成所を卒業してから声優の道に。
事務所に入って1番最初に受けさせてもらったオーディションで合格させてもらったんです。それが、ゲーム「アイドルマスター SideM」という作品。そこで合格させてもらって、いろんな初めてを経験させてもらいました。声優の仕事は声を当てる仕事だけかなと思っていたんですが、ここで経験させてもらったのは、ラジオとか、顔を出して出演する番組とかもあったし、ライブも。最近は結構テレビの仕事もありますけど、すごくマルチな職業なんだとうのが、働き始めてから思いましたね。
―声優の仕事をしながら表に出る仕事はどうだったか。
初めてのことをするのは嫌いじゃないので、新鮮な気持ちでやっていました。

―アニメ「ブルーロック」第1クールのエンディング曲を歌ったり、オリジナル曲のアルバムを出したりと、声優をしながら音楽活動も始めている。きっかけは。
3年ぐらい前からCDを出したりしています。声優としての作品でお世話になっているレーベルからお声がけいただき始めました。元々音楽をやっていたというのも知ってくださっていたので。
―声優と音楽活動の二足のわらじ。心がけていることは。
二つやらせてもらっている以上、どっちかが中途半端になるのはよくないと思うので、全力でどっちもやっている。
求めていただけるっていうのはありがたいですね。僕らは作品に起用していただけて、初めて声優として成り立つと思っているんで。音楽も、歌を作ってほしい、ライブで歌ってほしいって思ってくれている人がいるから成立することなので、すごくありがたいことだと思います。
―作詞作曲も手掛けている。忙しい中でどうやって作っているか。
アニメーションとのタイアップ曲を結構やらせてもらっているんですけど、自分の中でタイアップの物語をどんなキャラクターがいるのかなど考えてしっかり読んで作るようにしています。意外と0から1を作ると思われがちなんですけど、タイアップの時は物語があったりするので1を先にいただいているというか。
■「年々好きになる」沖縄から離れて気付いたこと、大事にしていること
―沖縄はどういう存在か。
愛すべき古里です。年々好きになっています。沖縄にいた時は地元すぎて分からなかったというか、当たり前のものだったんですけど、やっぱ東京に出てきてからは家族のありがたみを知ったし。環境とか恋しくなることもあったし。沖縄には自然がいっぱいあるじゃないですか。それもすてきだなって。
―なぜ沖縄を出ようと思ったのか。
新しいことが好きなので、いろんな人と喋ってみたかったというのはあります。沖縄から出て、自分の可能性みたいなものをもっと広げたかったっていうのがありますね。結構沖縄の人だったらあるあるだと思うんですけど、高校卒業したら「沖縄から出たい」というあの気持ち。

―地元にはよく帰るか。
年に1回は帰るようにしています。高校卒業してすぐ上京したので、沖縄のいろいろなところを見ていないんです。高校生の当時はバスに乗って那覇や美浜までちょっと行って、というくらい。行動範囲が狭かった。今は帰ったら、観光みたいなことをしています。改めていろいろ見て、やはり素晴らしいところだと思って。自分も沖縄を盛り上げられる1人になれればと思います。
―上京して挫折を味わいながらも、今は声優の道を選んで活躍している。振り返って一番大事だったと思うことは。
物事に対して興味を持つことだと思います。僕の人生の原動力になっていることの一つが興味です。どんなに小さいと思うようなことでも、興味を持てると人生が色づいてくる。人生は楽しいのが1番だなって僕は思うんで。人生であるいろんなことを「苦しい」と思うんじゃなくて、楽しめるようになったら、それはもう最高じゃないですか。興味津々で生きるのはいいことだと思います。
目標が一つだけじゃもったいない。もちろん一つのことを貫き通すのはかっこいい。でも、その一つのことがダメだったからといって、人生が終わるわけじゃない。いろいろな考えや道があると自分で理解すれば、チャンスはいっぱい転がっているんじゃないかなと思います。
―今後の目標、やりたいことは。
沖縄での仕事ももっと増やしていけたらなと思いますね。
―沖縄を舞台とした作品に出るとか。
そういうのもいいですね。(舞台になった場所が)観光の聖地巡礼とかで盛り上がると思います。凱旋(がいせん)ライブがかなうといいなと思っています。
◇ ◇
仲村宗悟(なかむら・しゅうご)
1988年7月28日生まれの沖縄県宜野湾市出身。アクロスエンタテインメント所属。2015年にゲーム「アイドルマスター SideM」の天道 輝役でデビュー。特撮ドラマ「ウルトラマンレグロス」やTVアニメ「ブルーロック」に出演。2019年3月9日に第13回声優アワード新人男優賞を受賞した。2019年からシンガーソングライターとしての活動も始めている。