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艦砲射撃で母失う 与座ツルさん(3) 母、弟をしのんで<読者と刻む沖縄戦>


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本部半島の採石場

 与座ツルさん(98)=本部町=は疎開先の福岡市博多区住吉で終戦を迎えます。ポツダム宣言の受諾を伝える天皇のラジオ放送で敗戦を知りました。

 《天皇陛下の玉音放送を聞き、終戦を迎えた。涙が止まらなくなった。戦争中、お偉いさんから日本は常に勝ち続けていると聞いていたし、ラジオによる大本営発表もそうであった。日本が実際には負け戦であったことを玉音放送で初めて知ることとなった。》

 与座さんはラジオの前に座って泣いたといいます。

 「上の人たちから勝ち戦だ、勝ち戦だ。勝っている、勝っているとだけ聞かされていた。でも実際は負けっ放し。戦争は勝っているという大本営の発表を信じていました」

 母がいる沖縄のことも気になっていました。「沖縄は全滅した」と思い込んでいました。

 戦後、与座さんは本部町辺名地の故郷に戻ります。「引き揚げ船で帰ってきました。(中城村)久場崎のテントで2、3日過ごした後、家に戻っていきました」

 辺名地の家は残っていました。しかし、母かめさんは本部町塩川にある採石場の上の広場で亡くなっていました。5歳下の弟は顔に大けがを負っていました。

 《本部町も激戦地だった。軍艦からの艦砲射撃で母は亡くなった。一緒にいた弟も鼻がそがれた状態になっていた。》