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「月桃」歌い平和祈る日々 与座ツルさん(4) 母、弟をしのんで<読者と刻む沖縄戦>


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愛唱歌の「月桃」を歌う与座ツルさん

 沖縄戦で母かめさんを失った与座ツルさん(98)=本部町=は辺名地で戦後の歩みを始めます。マラリアに苦しんだこともありました。

 《初めに、ひどい寒気に襲われ、次に高熱にうなされた。頭ははち切れるほどの痛みを覚えた。亡くなる方々も多かった。》

 顔を負傷した弟が気がかりでした。傷を隠すため、常に包帯を顔に巻いていました。

 《弟は仕事をしなければならない。包帯をして伊江島や久米島など、仕事があるところを転々として生活をした。》

 与座さんは「弟は本当に気の毒でした。顔の傷で職場の人たちから心ない悪口を言われたこともありました」と語ります。弟は他県で手術を受け、家庭を築きました。50代の若さで亡くなったといいます。

 本部町の特別養護老人ホーム本部園で暮らす与座さんは涙を流しながら西永浩士園長に戦争の話をします。かめさんをしのぶ詩も作りました。

 《哀れ礎が宿となり/この思いなお残りて、月桃の花になり/この世に残りて、いく世まで/なお残りて、月桃の花》

 弟のことも詩にしました。

 《にくき戦で傷になり/弟の思い情けなく 哀れなり人の言葉/心痛めて弟の思い 涙なりや》

 海勢頭豊さんの「月桃」が愛唱歌です。与座さんは母や弟のことを思いながら歌い、平和を祈る日々を送っています。