prime

100年前「内臓まで冷玉になる」と言われ、今も沖縄県民が愛してやまないスイーツ…「ぜんざい」その秘密を探る


100年前「内臓まで冷玉になる」と言われ、今も沖縄県民が愛してやまないスイーツ…「ぜんざい」その秘密を探る 甘く煮た金時豆の上にかき氷を乗せた沖縄ぜんざい
この記事を書いた人 Avatar photo 玉寄 光太

 年間を通して暖かい沖縄。地元で根強い人気を誇るスイーツが「ぜんざい」だ。

 県外では「ぜんざい」といえば、主に小豆を砂糖でじっくり煮て作る温かいものが一般的。でも、沖縄では砂糖や黒糖で甘くふっくらと煮た金時豆に、こんもりとかき氷が盛られていることが多い。

 どうして沖縄のぜんざいは冷たいのか?識者や老舗を訪ね歩くと、その歴史が垣間見えた。さらに“ルーツ”といえそうな食べ物が100年以上前の沖縄に存在していた。

■「あまがし」との違いは?

 琉球料理研究家で「琉球料理保存協会」の理事長でもある安次富順子さんによると、「沖縄ぜんざいは戦前の小豆のぜんざいをルーツとしており、よくいわれるような『あまがし』がルーツではありません」とのこと。

あまがし
緑豆や押し麦が入った「あまがし」

 あまがしとは、旧暦5月5日に子どもの成長を願って出される祝い料理の一つ。昔は麦を発酵させて作られていたが、現代は緑豆や小豆と押し麦を黒糖で煮込んで即席のぜんざい風に作るのが主流で、スーパーなどでも見かける。

 一方の沖縄ぜんざいでよく使われているのは金時豆や「レッドキドニー」と呼ばれる輸入品の赤インゲン豆だ。安次富さんは「レッドキドニーが使われるようになったのは戦後、米軍の軍事物資として手に入りやすかったことや、皮が固いために煮崩れしにくいといった理由があるようです」という。

■いつから氷を乗せるように?

 大ぶりの豆に加え、沖縄ぜんざいのもう一つの特徴はこんもり盛られた氷だ。なぜ、ぜんざいに氷が乗っているのか?

かき氷を山盛りに乗せる人
ぜんざいの上に山盛りのかき氷を乗せる店員=2004年撮影

 安次富さんは「氷を乗せるようになった経緯については、実ははっきりとは分からないんです」という。安次富さんは1943(昭和18)年生まれ。「氷を乗せるようになったのは戦後しばらくしてからではないか」と推測する。

 1950年代後半から始まった高度経済成長期で「三種の神器」の一つとして電気冷蔵庫が一般に普及した。安次富さんによると、氷の保管が容易になって手に入りやすくなったため、かき氷を乗せるスタイルが広がったのではないかと考えられる。

■名店で受け継がれる味

 ぜんざいの老舗として知られる那覇市久米の「千日」も訪ねてみた。

ぜんざいの老舗「千日」
沖縄ぜんざいの老舗として人気が高い「千日」=9月6日、那覇市久米

 夏になると店の外まで行列が続く人気店で、ふっくらと煮込まれた金時豆にふわふわの氷をちょっと固めて乗せた「アイスぜんざい」が名物だ。

 創業者の金城新五郎さんと妻の春子さんが1952(昭和27)年、那覇市で開いた「屋船食堂」を前身としており、今年で創業71年。「氷」ののれんをくぐると、白いテーブルと椅子が並ぶどこか懐かしさを感じさせる店内に、部活帰りの学生や観光客、仕事の休憩と思われる客がひっきりなしに訪れてアイスぜんざいを注文していく。

 千日のアイスぜんざいは、金時豆をグラニュー糖で6時間ほどしっかりと煮詰めた後、冷蔵庫に入れて冷ますため1日がかりで作られる。

 新五郎さんと春子さんが亡くなった後は、三女の小坂れい子さんと次男の金城茂人さんが先代の味を守り続け、「今では4世代にわたってお店に来ていただいているお客さんもいます」と小坂さん。

千日の名物「アイスぜんざい」
千日の名物「アイスぜんざい」

 千日ではいつから冷たいぜんざいを出しているのか?

 小坂さんによると、1960年代は前身の屋船食堂で「みぞれ」と「金時」を提供していたという。「みぞれ」はイチゴ味のシロップをかけたかき氷のことで、「金時」は甘く煮詰めた金時豆の上に氷を乗せ、その上にイチゴ味のシロップをかけたもの。

 これらのメニューが「いちご金時」や「ミルク金時」に形を変え、現在は沖縄ぜんざいのかき氷にシロップや練乳をかけたものになった。

 この「金時」、調べてみると100年以上前の新聞記事に存在が記されていることが分かった。

1959年の琉球新報紙面
1959年の琉球新報には那覇のレストランで「氷ぜんざい」を頬張る家族連れが紹介されている

■「内臓まで冷玉になる」

 明治時代の1910年。7月7日付の琉球新報に、「夕涼み」と題して次のような内容のコラムが掲載されていた。

 筆者はある夜、夕涼みのために妻と友人のTさん夫婦、Tの義妹を引き連れ那覇市の西武門を通って波之上を歩いていた。そして帰り道「波之上の門前にある氷屋」に立ち寄り、「金時を5人分命じて西側の卓を囲んだ。雪を欺く玉の皿に氷を堆高(うずたか)く盛ってある。涼しい風に肌を洗はれた五人は此所に金時を食へで喉以上の腑臓(ふぞう)悉(ことごと)く冷玉に化したのである」とやや大げさに表現している。

 この氷が盛られた冷たい食べ物「金時」について、詳しい記事を1912年8月12日付の琉球新報で見つけた。「市井雑観」という街の暮らしを紹介するコーナーで、夏真っ盛りで氷屋が儲かっていることを紹介するものだ。

 「炎暑で何よりお金が取れるのは波上(なんみん)の氷店である」という書き出しに始まり、「一斤の氷で金時が五皿出来るとしても百斤では三十圓となる。三十円の中(うち)資本は砂糖とか赤豆(あづき)とか知れたもの」とある。

 当時の「金時」の材料が氷と砂糖、赤豆だということが分かる。気になる味は「斯(こ)んな甘い汁は年中と云ふ譯(わけ)には行かない」と意外と辛口だ。

<個性豊かな沖縄各地のぜんざい>

 100年以上も前に沖縄の人々に愛されていた「金時」。その庶民の味は戦後も脈々と受け継がれ、沖縄ぜんざいは今やご当地グルメの一つとして人気も高く、大手コンビニでも商品化されている。

 老舗の専門店からカジュアルなカフェ、食堂、まちぐゎー(商店街)の一角まで・・・沖縄各地で出会えるこだわりのぜんざい、お気に入りの一品を求めて食べ歩きしてみてはいかが。

(玉寄光太)

こちらもオススメ!

普天間高校生が愛する「点心」の謎に迫った 中華風丼弁当の誕生秘話、店主はどんな人?<高校前メシ>

 誰にでも、思い出して顔が思わずほころぶような懐かしいメニューがあるだろう。普天間高校の卒業生にとってのそれは「点心」じゃないだろうか。点心とは、普天間高校の校 …

こちらもオススメ!

沖縄のソウルフード、タコライス 発案は私の祖父 「家族守りたい」懸命に生きた軌跡<復帰50年・世替わりグルメ>

沖縄の長寿三大食は「豚肉、豆腐、昆布」とされる。しかし米統治下の沖縄では、三大食をふまえつつ、米国と日本本土の食文化の影響も受けてきた。豆腐にツナ缶のチャンプル …