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憧れの舞台へ、気負わず 陸上・走り幅跳び 又吉康十 <沖縄からパリへ>6


憧れの舞台へ、気負わず 陸上・走り幅跳び 又吉康十 <沖縄からパリへ>6 男子走り幅跳び(義足T64)でパリパラリンピックの出場を目指す又吉康十=2023年12月13日、大阪府枚方市のたまゆら陸上競技場
この記事を書いた人 Avatar photo 古川 峻

 走り幅跳び(義足T64)でパリパラリンピック出場を目指す又吉康十(名護高―帝京平成大出、ZDCアスリート倶楽部)。代表入りを逃した2021年の東京大会は自宅のTVで見ていた。「あの舞台に立ちたい」。大会終了後、根っからの明るい性分の持ち主にじわじわと悔しさがこみ上げてきた。パラ陸上を始めた頃から目指す最高峰の舞台を懸けて22日、世界選手権(神戸)に挑む。

 大学3年の時に電車事故に巻き込まれ、左膝から下を切断した。それでも「よく生きていたな」と落ち込むことはなかったという。17年にパリ大会を目指して陸上を始めた。きっかけは、走り幅跳びでリオ大会銀メダリストの山本篤(新日本住設)と出会い、義足を譲り受けたことだった。

 19年に走り幅跳びに挑戦すると、いきなり好記録をたたき出す。まもなく6メートル33の日本記録を打ち立てた。だがコロナ禍に入ると、一人で黙々と競技を続ける日々に。伸び悩み、東京大会は代表入りを逃した。

 東京大会後、働きながら練習していたが、「もっと高いレベルでやりたい」と所属する会社に願い出て、競技への専念を後押ししてもらった。東京から大阪に移住し、競技を始めた原点である山本にコーチに就くよう頼み込んだ。大ベテランの客観的な視点が加わり、「自分の感覚と実際の跳躍のずれが少なくなった」と手応えを語る。

 22年5月のジャパンパラ大会で自らの日本記録を更新、23年6月には6メートル65を出して当時のアジア記録を塗り替えた。同年10月に初めて日本代表としてアジア大会に挑み、3位で表彰台へ。記録では満足いかなかったが、「メダルが懸かる時に狙い通りに跳躍を合わせることができた」と手応えを感じた。

 今季は2月にオーストラリアでの大会から始まり、いまだ思うような結果は残せていないという。助走のスピードを生かしながら、義足の反発力を殺さない踏み切りを課題に挙げ、山本と議論を重ねてきた。4月末ごろから「やっと踏み切りの感覚をつかめてきた」と力を込める。

 世界選手権2位以上で代表に内定する。4位以上でもワールドランキングにより代表入りの可能性は高まる。ただ競技レベルは年々向上しており、上位は7メートル中盤の勝負になると予想される。「気負いせず自分の最大限のパフォーマンスを出したい」。より速く、より高い最高の跳躍を目指す。

 (古川峻)


 またよし・こうと 1994年9月1日生まれ。名護市出身。名護中―名護高―帝京平成大出、ZDCアスリート倶楽部所属。2015年に事故で左膝から下を切断した。23年のアジアパラ大会で走り幅跳び(義足・機能障害T64)3位。自己ベストは6メートル65。