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展示の砲弾類「無害化し戻しては」 識者が資料的価値を指摘 ヌチドゥタカラの家展示 沖縄


展示の砲弾類「無害化し戻しては」 識者が資料的価値を指摘 ヌチドゥタカラの家展示 沖縄 ヌチドゥタカラの家に展示されている空薬きょうなど
この記事を書いた人 アバター画像 中村 万里子

 3カ月に及ぶ激しい地上戦となった沖縄戦では20万トンを超える弾薬が沖縄に投下され、今も約1878トンが埋没していると推測される。戦争の痕跡である爆弾の破片などモノに触れることは、沖縄戦への理解を深める手段にもなる。学芸員や沖縄戦研究者からは「無害化した上で博物館などに戻してはどうか」などの指摘も出ている。

 不発弾の取り扱いを巡っては、陸上自衛隊第15旅団によると「基本的には火薬を抜いて返すなどの対応はしていない」という。

 南風原町の南風原文化センター学芸員の保久盛陽さんによると、過去に同センターでも警察が回収したことがあったという。「もちろん何よりも一番大切なのは安全確保だ」とした上で「火薬を抜いたり信管を外したりして無害化した物は博物館に提供するようなサイクルができればいいと思う」と提案する。

 保久盛さんも平和学習の授業で安全な爆弾の破片を使っている。町では戦争体験者への聞き取りで、南部に逃げた住民は日本軍が使う壕に入れず、畑のあぜや塀に身を隠し、砲弾で亡くなった人が多いことも分かってきた。「今、戦争は子どもたちにとって昔話になっている。『お母さんのおなかに爆弾の破片が突き刺さって抜こうとしたらジューとなった(手がやけどした)』という証言や地図と組み合わせて爆弾の破片を見せると、よりリアルに沖縄戦を感じてもらうことができる」と手応えを語る。

 県平和祈念資料館では、過去に展示や収蔵庫を警察が見て危険な物は引き取ったという。

 伊江島の住民にとって米軍の砲弾類には「複雑な思いが込められている」と沖縄国際大の石原昌家名誉教授は指摘する。戦中だけでなく戦後も米軍の爆弾で命を落とした。住民は苦しい生活をしのぐため米軍の実弾演習地に投下される実弾を命がけで拾い集め、換金した。「わびあいの里は島の苦難の歴史を後世に伝えてきた。突如、自衛隊が反戦平和資料館に軍靴で踏み込むのは理由はともあれ、80年前の日本軍をほうふつさせ、不穏な動きだ」とし、沖縄での軍事強化が進む中、戦争反対の世論を統制した戦前を思い起こすと懸念を示した。

 (中村万里子)