玉城沖縄県知事訪米、民意携え 米政府「静観」構え 就任後初


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初訪米を前に「平和構築に向けた沖縄の行動に力を貸してほしいと訴えたい」と意欲を語る玉城デニー知事=10日、那覇空港国内線ターミナル

 玉城デニー知事は11日午前、就任後初の訪米要請行動のため羽田空港を飛び立った。現地時間の11~12日にニューヨーク市、13~15日に首都ワシントンに滞在し、米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設に伴う新基地建設に反対する沖縄の民意を直接訴える。米軍基地問題の解決に向けて歴代県知事が訪米行動に取り組んできた中で、米国にもルーツを持つ玉城知事は新たな視角からも米国社会への発信を狙う。

 【ワシントン=座波幸代本紙特派員】米軍普天間飛行場移設に伴う名護市辺野古の新基地計画に反対する玉城デニー知事の初訪米に対し、米国の国務省、国防総省は「辺野古が唯一の解決策」と、現行計画堅持の姿勢を崩さず、知事の訪米を静観する構えだ。一方、米市民や世論に訴え、草の根レベルで米政府を動かしたいという玉城知事の訴えに呼応する形で、在米県系人を中心に海外のウチナーンチュが玉城知事を支持するインターネットの署名活動を始めるという新たな動きも生まれている。

 県知事選で、安倍政権が全面支援した候補者に8万票余の差をつけた玉城氏の大勝は、選挙結果にかかわらず、移設工事を進めるとしていた米政府にも「いささか驚き」と受け止められた。だが「玉城氏のこれまでの印象的な生涯と、翁長雄志前知事の同情票」(国務省関係者)が当選につながったものの、翁長氏から引き継ぐ「反対戦術」以上の動きはなく、状況に変化はないとみる。別の関係者は「知事がワシントンに来るなら、どんな考えを持っているのか聞いてみたい」と話すが「カウンターパート(対応相手)はあくまで日本政府」と、日本政府と足並みをそろえ、現行計画を進める考えだ。

 マティス国防長官は10月19日、岩屋毅防衛相とシンガポールで会談し、普天間飛行場の継続的な使用を回避するため、名護市辺野古への移設が唯一の解決策だと、改めて確認。玉城知事就任後も、日米合意の堅持を強調した。

 一方、今月6日の米中間選挙で、野党・民主党が下院の多数派を占めたことで、下院軍事委員会などの委員長が交代する見込みだ。上下院ともに軍事政策は超党派で進めており、変化はないという見方もあるが、玉城氏の訴えに関心を持つ議員が現れるかどうかも注視される。


歴代5知事、計19回

 玉城デニー知事は11日、米軍普天間飛行場の辺野古移設問題を米国内で世論喚起するため、知事就任後初めて訪米する。保守であっても革新であっても歴代の知事も5代続けて計19回に及ぶ訪米行動を重ね、米政府や連邦議会、軍、市民に沖縄の現状を訴え掛けて米軍基地問題の解決を目指してきた。

復帰後、初渡米 西銘順治氏(2回)

 県基地対策課によると、1972年の本土復帰後、基地問題のために初めて渡米したのは第3代知事の西銘順治知事だ。3期12年の在任中、85年と88年の2回訪米し、普天間飛行場や那覇軍港など基地の整理縮小を求めた。

最多、首長伴い 大田昌秀氏(7回)

 歴代の知事のうち最も足しげく訪米したのが、西銘氏を破って知事となった大田昌秀知事で、98年までの任期8年間で7回訪米した。宜野湾、金武、読谷などの市町村長を伴って訪米することも多く、基地に苦しむ自治体の生の声を届けようと腐心した。

国務長官に面談 稲嶺恵一氏(2回)

 普天間飛行場の代替施設の「15年使用期限」を条件に県内移設を容認した稲嶺恵一知事は、2001年の初訪米で歴代知事として初めて国務長官に面談した。パウエル国務長官が出迎えることで沖縄への配慮が演出されたが、焦点の15年使用期限問題などで具体的な言質は引き出せなかった。稲嶺氏は05年にも訪米した。

県外実現要請も 仲井真弘多氏(4回)

 続く仲井真弘多知事は2期目の10年に知事選で「条件付き辺野古移設やむなし」とした従来の方針を転換、「県外移設を求める」と公約し再選された。4回の訪米行動のうち後半2回は米側に県外移設の実現を訴えた。だが仲井真知事は再び方針を変え、13年12月に辺野古移設に伴う国の埋め立て申請を承認した。

就任後、毎年行脚 翁長雄志氏(4回)

 14年に辺野古新基地建設反対を掲げて当選した翁長雄志知事は、米国世論を巻き込もうと毎年訪米した。4回の訪米で、補佐官対応の2議員を含めて延べ35人の上下院議員と面談するなど、精力的に関係者を回った。

 最後の訪米となった今年3月、日米両政府が固執する「辺野古唯一」を打破しようと「沖縄県は日米安保の必要性を理解する立場だ。全ての基地に反対しているのではない」とワシントンのシンポジウムで訴えた。 (肩書は当時)


知事、「父の国」での協議に意欲

 

 玉城デニー知事は米海兵隊員だった父親と沖縄出身の母親との間に生まれ、選挙期間中や就任後も、自らの出自を強みに米国との交渉に意欲や自信を見せてきた。選挙戦では「私はアメリカの民主主義で育った父親を持っている。ウチナーンチュはみんな民主主義を大事にします。どうぞ皆さんの財産を持って帰ってくださいと話をしましょう」などと訴えてきた。

 また「あなたの国(米国)の息子があなたの国に民主主義の手続きで交渉しますと言えるのはデニーだけです」「私の父親の国の民主主義の国にいるあなたは、そのことを聞いていただけますねと言ったら逃げられない」とも強調してきた。「デニー」の頭文字の(5)から始まる三つの政策を語り、その一つである「ディプロマシー」、“自治体外交”も掲げた。

 先月4日の知事就任の記者会見では「当然アメリカに行き、政府当局や議会、民主主義を共有する立場で、共に行動していただくアメリカ社会の住民や市民団体などと基地問題を通じて対話の必要性を(日本)政府にも米国にも求めていきたい」と述べた。“草の根レベル”にも働き掛け、ムードを盛り上げることで日米両政府との対話につなげたい考えだ。

 今回の訪米ではニューヨークとワシントンを訪れる予定で、ニューヨークでは大学で講演する。ニューヨークは、拠点を置く米国主要メディアも多く、民主党の地盤で草の根の市民運動も盛んだ。知事選の結果は米国主要メディアでも大きく報じられた。玉城知事としては日米両政府との難しい交渉を前に、米国の市民社会やメディアを通じて沖縄の基地負担への理解や共感を広げ、米国の世論を少しでも動かしたいという狙いがある。このため就任1カ月という準備時間が短い中でも、政治的影響力や発信力が大きい当選直後の今の時期を優先したとみられる。