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戦争孤児から肉屋の店主へ 最期まで「市場に行きたい」亡き妻との思い出深く〈まちぐゎーあちねー物語 変わる公設市場〉2 高良仁徳さん(下)


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妻の和子さんと二人三脚で精肉店を営んだ高良仁徳さん。和子さんの写真に「市場はどうなるかな」と声を掛ける=1月21日、那覇市前島

 第一牧志公設市場の建て替えや営業に奔走した那覇市中心商店街連合会顧問の高良仁徳さん(87)は、1931年にサイパンで生まれた。7歳のころ、両親の故郷である小禄村に移り住み、母と共に無許可で豚肉を売り歩いた。誰にも知られないように、かばんに肉を隠して明治橋を渡り、那覇の市場で売る。「肉が売れたら小遣いをもらった」

 戦争は少年の人生を大きく変えた。

 沖縄に戻る前に召集された父はガダルカナル島で戦死した。母は45年1月に空襲の犠牲となり、日本軍に動員された姉も地上戦で命を落とした。47年に妹を赤痢で亡くし、一人になった。「僕は艦砲ぬ喰ぇー残さーだ」。17歳から親戚の家を出て米軍基地内を出入りした。基地から盗んだ物を売る「戦果アギヤー」として食いつないだ。

 28歳のころ、精肉店を営む別の親戚の下で牧志公設市場で働いた。程なくして近くの電気店で働く和子さんに出会った。キャッチボールや砲丸投げが好きだった快活な和子さんに「結婚するならこの人だ」と確信したという。結婚後に市場で「和ミート」を開店。高良さんが仕入れた豚肉を和子さんが市場で売った。

 和子さんは「お金があるときの倹約を大切にしないといけない」と口癖のように話していた。残った肉はラフテーにして販売した。顧客を何より大事にし、常連客の祝い事があると北部までも出向いた。幼子をおぶって店に立ち、さおばかりを親指一本で持って重たい肉を量るたくましさもあった。「頑固で愛嬌(あいきょう)があった。母ちゃんを徹底的に信じていた」(高良さん)

 糖尿病を患っていた和子さん。入退院を繰り返すことが増え、店は徐々に長男の徳尚さん夫婦に任せるようになっていた。それでも退院している間は「市場に行きたい」と言って市場に通った。9年前、その日も和子さんは市場に出た。体調が悪くて昼には家に戻り、病院に行こうと、車に乗り込む直前に倒れた。そのまま帰らぬ人となった。

 現在、市場にあった店舗「和ミート」を閉め、高良さんも引退した。徳尚さんが事業を引き継いで、むつみ橋通りの鉄板焼き屋「ししや」などを経営する。高良さんが命を掛けて守った市場、和子さんが命尽きるまで通った市場が6月には解体される。「さみしいけど、仕方ない。でも、新しい市場はどうなるかな」。高良さんは、肉を売る写真の中の和子さんを見つめ、少し不安げにつぶやいた。
 (田吹遥子)

(琉球新報 2019年2月20日掲載)