名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブ内にあった大浦崎収容地区で亡くなった人たちを悼む慰霊祭が21日、シュワブのゲート前で開かれた。約100人が焼香し、「戦没者や平和への冒涜(ぼうとく)につながる」と新基地建設の中止と、平和な世が続くことを祈った。
今の米軍キャンプ・シュワブがある場所には、1945年6月から大浦崎収容地区が設置された。本部町、今帰仁村、伊江村を中心に一般住民2万人以上が米軍の管理下で収容され、栄養失調やマラリアのまん延で次々に子どもや高齢者らが亡くなった。
慰霊祭は今年で4回目。大浦崎収容地区の遺骨について調べている遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」の具志堅隆松さん(65)は、収容地区にいた人が作詞した「恨みは深し 400の魂が眠る大浦崎」という歌を紹介し、少なくとも400人が亡くなった可能性を指摘した。1956年には米軍がシュワブ建設に伴い立ち入りを禁止したことから、後に埋葬地の遺骨を取りに来た遺族が中に入れず、取り出せなかった可能性もあると述べた。
母と祖父が大浦崎収用地区に収容されていたという新垣京子さん(68)は、新基地建設反対の座り込みに来て慰霊祭があることを知り参列した。新垣さんは「収容所で亡くなった人が埋葬された話を聞いたことがなかったので驚いた。きちんと戦後処理をしてほしい」と話した。
基地内遺骨収集進まず…
3年前に戦没者遺骨収集推進法が施行され、当時、厚生労働省は米軍基地内でも遺骨収集を加速する方針を示していた。しかし実際は進んでいない。その理由について厚労省の担当者は「基地内に(どこに埋葬したなどの)確度が高い情報がない」と説明する。
現在は米軍キャンプ・シュワブが設置されている名護市辺野古の大浦崎収用地区跡地で国と県は2016年、埋葬地の場所に関する証言を基に立ち入りし、目視調査を行った。県の担当者によると道路が敷設され米軍の建物もあり、埋葬地の痕跡は確認できなかった。建物が建てられた際に大規模な基礎工事が行われたことも推察されたという。
県は、埋葬場所などの情報提供を広く県民に呼び掛けたが、これまでに情報は寄せられていない。それ以上調査は行われていないのが現状だ。
県内の別の米軍基地内にも遺骨はあると想定され、実際に返還された米軍基地跡地からは遺骨が見つかっている。県戦没者遺骨収集情報センターによると、15年に返還された米軍西普天間住宅地区で昨年1月、不発弾調査の際に遺骨が見つかった。同年5月、センターが引き取って仮安置所に保管しているという。激戦地となった那覇市の新都心地区でも開発の際に多数の遺骨が見つかった。情報が少ない中、どのように基地内での遺骨収集を進めていくか課題となっている。