社会

父が、兄が…身元不明の遺骨を納めていた「魂魄の塔」を訪れた遺族たちは何を祈るのか

ぐずつく天気の中、早朝から魂魄の塔に手を合わせる人たち=23日午前7時30分、糸満市米須(喜瀨守昭撮影)

 沖縄県内の慰霊の塔で最も早く建立され、身元不明の遺骨を納めていた糸満市米須の「魂魄の塔」には、時折激しい雨も降る中、23日早朝から多くの遺族が訪れた。訪れた人たちは花や食べ物などを手向け、静かに戦没者の冥福と平和を祈っていた。

 子、孫ら12人で訪れた知念康子さん(81)=宜野湾市=は父次さんが本島南部で戦死した。「戦後すぐに母も病気で亡くなり、きょうだい4人はばらばらになった。戦争が終わったからといって平和になったわけではなく、貧しく食べ物にも困った」と話した。「今の私は子、孫に囲まれ幸せです。安らかに眠ってくださいと報告した。基地があれば攻撃される。また戦争に巻き込まれたくない」と話した。

 沖縄市から訪れた佐久川昌栄さん(84)は兄の昌仁さん(当時21歳)がどこで亡くなったかは分からないが、爆弾を背負い米軍に体当たりして戦死したとの話を聞いているという。

 自身は母と本島北部の森に逃げ込み、米軍に見つかって捕虜になった。最後に兄に会ったのは出身である東村で兄の出征送別会。以前は慰霊の日には残ったきょうだい皆で塔を訪れたが、遺族も高齢化し、今は末っ子の自分が代表して慰霊の日にこの場所に来ている。「兄には安らかに眠ってほしい。戦時中はご苦労さまでしたと伝えた。戦争はなくなってほしいし、辺野古基地もなくなってほしい」と話した。【琉球新報電子版】