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沖縄・慰霊の日 なぜ若者たちは平和の礎を訪れるのか?


この記事を書いた人 Avatar photo 田吹 遥子

 沖縄戦の組織的戦闘が終わった日とされる「慰霊の日」の23日。沖縄県糸満市の平和祈念公園の「平和の礎(いしじ)」には、沖縄戦で亡くなった人たちの名前を見つめる若い人たちの姿があった。沖縄戦体験者が減り、記憶の継承が課題とされる中、若者たちはなぜ、慰霊の日の平和の礎に訪れたのか。思いを聞いた。 

(田吹遥子)

家族の戦争引き継ぐ

家族と共に礎を訪れた宮里知宏さん(左から2人目)父・満男さん(左端)の話を聞く

 午前8時前、宮里知宏さん(17)=那覇市=は礎の前で父・満男さん(50)の話に耳を傾けていた。刻銘板に名前があるのは、満男さんの祖母の両親など6人。伊江島やフィリピンなどで亡くなった。家族4人で来るのは息子たちに親戚の名前があることをちゃんと知ってほしいから。知宏さんは「平和祈念公園は特別な場所」と話す。「沖縄の人だけでなく国外の人も平等に刻銘されている。改めて戦争を起こしてはいけないと感じる」。考えを巡らせながら丁寧に答えた。

 雨脚が強くなる中、祖父母と共に歩いていたのは和宇慶真依さん(19)=うるま市=。雨宿りをしながら話を聞いたら、礎を訪れたのは「小学生ぶり」だという。家にいた真依さんを誘ったのは祖母の惠美子さんだ。惠美子さんのおじが沖縄戦で犠牲になった。亡くなった場所は分からず、遺骨は還ってきていない。「私も戦争を知らない。もっと話を聞いておけばよかったと思っている。たくさんの人が亡くなった事実を引き継いでいきたい」と思いを語り、涙をぬぐった。側で聞いていた真依さんは「これからは私たちが伝えていきたいです」と静かに語った。

 

県費留学生として南米から沖縄に訪れている(左から)ルシア・ミカエラ・仲宗根さん、上地メリサさん、大田弥生さん。

 資料館に向かって歩く女性たち。名札にはボリビアとアルゼンチンの国旗がある。その中にいた上地メリサさん(22)は、ボリビアから県費留学として琉球大学で学ぶ県系3世。県費留学生をサポートする財団のバスで訪れた。

 「海が見えてきれいな公園だけど、戦争のことを知ると悲しい気持ちになる」。国籍を問わずに刻銘されている礎に「戦争で戦った相手の国まである。それこそが平和の証拠だと思う」と語った。

本土にどう伝える?

 

礎を見つめる(左から)奈良美里さんと吉田光希さん

 黒いワンピース姿。礎に対してちょっと遠慮気味にスマホを向けている2人組の女性がいた。早稲田大学大学院1年生の奈良美里さん(22)と吉田光希さん(22)。ジャーナリズムコースに所属し、沖縄の基地や歴史について学んできた。

 奈良さんは家族連れで来ている人の多さに驚いた。「ここで多くの人が亡くなったんだと改めて感じた」。吉田さんは「地上戦で犠牲になった沖縄が今は基地問題に苦しめられている。このことが本土に伝わっていないことが悔しいですね」と話した。

 

教員を目指す(左から)泉田惇友さんと鍵田修平さん。子どもたちに沖縄戦をどう伝えるか、考えながら歩いた

 昼前、琉球大学4年の泉田惇友さん(21)、鍵田修平さん(21)、根間愛姫さん(22)が礎の間を歩いていた。県外出身で卒業後には沖縄を離れる泉田さんと鍵田さんが「沖縄にいる間にここに来ないと」との思いで来た。渡嘉敷の「集団自決」(強制集団死)、久米島の住民虐殺。授業などで聞いた人たちの名前を探して歩いた。

 教育学部に所属し、教員を目指す3人。子どもたちに戦争をどう伝えるか。3人で意見も交わした。泉田さんは「一方向だけでない、いろんな側面があったことを生徒に考えさせる授業がしたい」と語る。小学校の教員を希望する鍵田さんは「県外の子どもたちに、沖縄には慰霊の日という休日がある。それはなぜだろうというところから、大きな意味があることを伝えたい」。

 「追悼式って何時からですか」。3人は記者に尋ね、会場に向かって歩き出した。

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