毎年3月は、私にとって少し気が重い月です。出会いと別れがあるから、というだけでなく、私は障害者総合支援法に基づく障害福祉サービスを使っているからです。毎年、誕生日前に書類更新と、2年に一度は調査員の訪問があり、今月なのです。
この制度のおかげで、私は1日約10時間ヘルパーさんに来てもらっています。ご飯を作ったり、掃除をしたり、買い物や子どもの学校に行ったりをヘルパーさんとします。また、トイレやお風呂で抱っこをしてもらうこともあります。体調がいい、体が痛くない時は、自分で洗濯物をたためても、疲れていたり、体が痛かったりすると、お願いをします。
また今はできると思っても、ずっと座っている姿勢だとより骨が曲がったり、頭痛がしたりするので、横になることも心がけています。難聴があるので疲れると耳の聞こえが悪くなり、視界が低いので普段は見えにくいところに注意を払うようにしていますが、疲れているとそれもできません。その日の体調によって、どこまでお願いするかを考え、その都度ヘルパーさんに伝えます。
私の体調だけでなく、子どもの体調や、子どもの予定でもやることが変わってくるので、ヘルパーさんに細かく伝えます。
調査では、これらのプライベートなことを細かくすべて話さないといけないので、なんだか監視されているように感じて、嫌な気持ちになることがあります。私ができること、できないことは体調によって変わり、使い慣れていなく、バリアフリーではない場所では全く動けず、何もできなくなるので、状態の説明が難しいこともあります。どうして家族が介護をできないのかを聞かれ、家族ありきの生活を強調されるのもつらいです。
公共の制度を使うのだから、説明は仕方がないことなのかもしれません。しかし困っていて、必要なことを求めると、まるで善しあしを判断されるかのようにすべてを調査されるのは、時に苦しいです。これは保育園を利用する時や、生活保護受給、在留外国人なども同じかもしれません。ある程度のルールが必要なこともあると思いますが、憲法には、すべての国民は個人として尊重され、自由、幸福を追求できるとあります。制度を使う時にこそ、憲法の条文が大切にされることを願います。我慢や申し訳なさではなく、希望を持ちながら制度を使いたいです。
いぜな・なつこ 1982年那覇市生まれ。コラムニスト。骨形成不全症のため車いすで生活しながら2人の子育てに奮闘中。現在は神奈川県在住。