卒業アルバムをはじめとする思い出の写真たちで、集合写真にはいるけれど、休み時間や日ごろのスナップになかなか写っていない子どもはいませんか? そしてそれは障害がある子だったり、外国語が母語だったり、集団生活の中で何か困難さを抱えている子ではないでしょうか?
障害があるとトイレを利用するのに時間がかかったり、トイレの場所が遠かったりと、休み時間に遊ぶ余裕がない時があります。体を横にしたり、静かな場所で休んだりすることが必要な子どももいるでしょう。移動教室では、車いすユーザーは歩ける人とは違うルートになり、なにげない友だちとの会話に入るタイミングを失ったり、笑いが起こるおもしろい瞬間に立ち会えなかったりする時があります。バリアフリーのルートや車いすトイレが増えてきたのはありがたいのですが、それが特別なもので、多くの人が使わない場所にあると、どうしてもみんなから離れないといけない場面が増えます。
まわりの子どもと一緒に過ごせない、ほんのちょっとの時間。気にかける必要もないくらいに見えるかもしれません。しかし大人になった私たちがいま思い出す、楽しかったことは何でしょうか? 大きなイベントのこともありますが、学校帰りに寄り道をして見つけたささいなことや、友だちとふざけて大笑いしたことではないでしょうか。
小さなことの積み重ねこそが大切で、それが奪われることは悲しく、悔しいです。トイレに時間がかかるから、ちょっとの遊びに入れなくても仕方ない、ではありません。さらには、その子が輪に入れないことが増えると、まわりの友だちは「いつもいないから誘わなくてもいいよね」と思ってしまうこともあります。トイレが遠いから、利用に時間がかかるから、休み時間が短いから、など環境が整っていないがために参加ができないのですが、まわりはその子が選んで、入りたくないと勘違いしてしまうことがあるのです。そうやって小さな排除が起こり、それが積み重なっていきます。
すべての子どもたちが、ありのままに、楽しく過ごせる時間、場所、環境を保障したいです。いろいろな子どもが一緒にいて、授業も一緒に受け、集合写真にもいるから大丈夫、ではなく、気にも留まらないようなささいなことにも目を向けながら、一人ひとりの子どもが楽しみを感じられているか、安心できているかを、考えて行きたいですね。
いぜな・なつこ 1982年那覇市生まれ。コラムニスト。骨形成不全症のため車いすで生活しながら2人の子育てに奮闘中。現在は神奈川県在住。