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フミさんの父、55歳で他界 瀬長フミさんと亀次郎さんの体験(1) 母と父の戦争<読者と刻む沖縄戦>


フミさんの父、55歳で他界 瀬長フミさんと亀次郎さんの体験(1) 母と父の戦争<読者と刻む沖縄戦> 内村千尋さん
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 米統治下で圧政と闘った政治家、瀬長亀次郎さんの次女、内村千尋さん(78)=那覇市=からお便りが届きました。内村さんは亀次郎さんが残した資料を展示し、戦後沖縄の歩みを伝える「不屈館」の館長です。

 お便りは母フミさんの疎開体験のことを記しています。

 《私は、疎開先の宮崎県延岡市で生まれました。

 1945年3月6日でした。

 両親が遺してくれた回想録のおかげで、両親の苦労や体験を知ることができました。特に母親の体験は凄まじいものでした。》

 疎開したフミさん、沖縄に残った亀次郎さんの回想録に触れながら2人が体験した戦争と戦後の暮らしをたどります。

  ◇ ◇

 内村さんの母、瀬長フミさんは1909年8月、佐敷村新里(現在の南城市佐敷新里)で生まれます。父・西村助八さん、母マカトさんの次女です。一男六女の7人きょうだいです。

 父の助八さんは現在の東京大学農学部で学び、沖縄県庁の農業技師として働きます。

 黒糖の品種改良の功労で農林大臣から表彰されています。戦前の「琉球新報」には「熱帯植物 試験地の状況」(12年9月、計5回)などの論考が掲載されています。沖縄県農業の指導者として活躍しましたが、34年、55歳の若さで亡くなります。功績をたたえる石碑が新里公民館に建っています。

 フミさんは自伝「熱い太陽のもと 激動の島に生きる」(1996年刊)に「父の死は私たち家族にとって。大きな痛手であり悲しみでした」と記しています。