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「前を向いてくれる人がいるなら」 若年性アルツハイマー当事者の大城さん、沖縄県の「認知症希望大使」に


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記憶を記録に残すため、10年以上続けた日記を示す大城勝史さん。「自分の体験に共感して前向きになれる人が一人でもいるなら話していきたい」と語る=11日

 若年性アルツハイマーの当事者として2016年から19年に講演などを通して啓発活動に尽力してきた大城勝史さん(48)=豊見城市=が、県が新たに設けた「県認知症希望大使」の1人に選ばれた。30代のころから人の顔や地図が覚えられない症状に悩み苦しみながらも、周囲の理解と支援で活動してきたが、19年からは子育てに専念していた。子どもが成長した今だからこそ大使を引き受けたという。体調に波はあるものの「私の過去の不安や苦しみ、葛藤に共感し前を向いてくれる人がいるなら」と、もう一度、人前に立つことを決めた。

 取材を受けるのは数年ぶり。子どもと積み重ねた思い出は忘れたものもあるが、日記をめくれば充実した日々を語ることができる。病気の進行で少し話すのが遅くなって自分の殻に閉じこもっていた時期もあったが、落ち着いた生活環境の中で「今の状態も受け入れられる自分がいる」と柔和な表情で語る。「でも、最初から笑顔でいられる人はいないよね」と振り返る。

 15年に若年性アルツハイマーと診断されるまで心身の不調を感じて医療機関を渡り歩いた。勤務する自動車販売会社では、業務や同僚の顔を覚えられなくなり自信をなくす日々。「当時のつらい記憶は今も消えない」

肌身離さずもつ日記の1ページ。「誰の言葉か忘れましたが、毎日見てます」と語る、大城勝史さんにとって大事な言葉だ

 治療しながら3児の父として踏ん張り、多くの出会いや職場の協力により、16年から講演活動を始めた。13年8月から書き続けてきた日記やメモを基に、17年に体験を書籍として販売した。

40才で診断された若年性アルツハイマー病が苦しい思い出だけにならず、再び啓発活動ができるのも家族や勤務を続けている職場などの理解があったからこそだという。社会に理解を広げたいという情熱は変わらない。「誰かが動けば流れが変わる。だから自分が動かないと。昔からそう思っている」

 県は14日午後1時15分、浦添市のアイム・ユニバースてだこホールで「県認知症県民フォーラム」を開催し、大城さんを含む3人の当事者を「県認知症希望大使」に委嘱する。
(嘉陽拓也)

早期診断・支援が鍵 県内7カ所に医療拠点

県によると65歳以上の要介護(要支援)認定者のうち、2022年に認知症と診断されたのは県内に5万3535人。国の推計では、県内の認知症高齢者は40年までに約8.8万人に増える見込みだ。一方、65歳未満の「若年性認知症」の支援体制は課題となっている。

 県は17年から県若年性認知症支援コーディネーターを設置している。担当の安次富麻紀さんによると、これまで支援した当事者は156人。相談件数は増加傾向にあり、22年度は累計2209件だった。

 体調の異変を感じてさまざまな診療科を回る人も多く、認知症と診断されるまで数年かかるケースもある。誰にも相談できず、仕事のミスが増えたことで職場から受診を勧められる事例が多いという。

 県認知症疾患医療センターは本島や宮古島、石垣島に計7カ所ある。安次富さんは若年性の人ほど同センターへの相談を勧める。加えて「地域のクリニックでも診断や福祉につなげる体制が必要だ」と課題を挙げる。

 診断後は患者の引きこもり状態を避けるため、支援者につながるまでの「空白期間」を短くすることが鍵となる。働き続ける意思があれば支援者が会社側と業務量を調整することもあるが、退職を迫られる事例もあるため、安次富さんは社会の理解の広がりを願う。

 もう1点、大事な点は企業などに在職中の受診という。在職中と退職後では障害年金等の受給額に差が出ることもある。症状によっては収入減が避けられないこともあるため、安次富さんは相談者に必ず伝えるようにしている。

 若年性認知症に関するアドバイスは毎週水曜午後2時半、FMぎのわんの番組「おれんじCafe」で発信している。同コーディネーターへの問い合わせは、新オレンジサポート室、電話098(943)4085。