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「私の島ってそんなに暗いっけ?」与那国島で中国語学んだ女性が願う未来 <東アジアの沖縄・第3部「交流の足跡」>3


「私の島ってそんなに暗いっけ?」与那国島で中国語学んだ女性が願う未来 <東アジアの沖縄・第3部「交流の足跡」>3 台湾と与那国の交流発展への思いを語る前黒島萌さん=与那国町
この記事を書いた人 Avatar photo 中村 万里子

 「你叫什麼名字(ニージャオシェンムォミンズー)?(名前は何ですか)」「你幾歳(ニージーシュエイ)?(何歳ですか)」。9月中旬、与那国町の久部良小学校に中国語が響いていた。与那国町の小学校6年生の児童たちは10月、町が姉妹都市提携している台湾の花連市にホームステイを予定している。事前準備で、受け入れ先の太巴〓(タパロン)小学校の児童らと会話を初めて試みていた。手元の表現で片言の中国語で話しかけていく。会話が成立すると拍手し、はじける笑顔を見せた。

 子どもたちの真ん中で流ちょうに通訳しているのは与那国町出身の前黒島萌(めぐみ)さん(33)=中城村。小学校低学年で初めて親と公民館の中国語講座に通い、台湾やその言葉に興味を抱いた。前黒島さんが生まれる少し前に、町は花連市と姉妹都市提携を結んだ。1982年のことだ。町祖納の与那国中学校体育館で開かれた調印式には大勢の町民が詰めかけ、熱気に包まれた。姉妹都市提携を契機に往来が活発化し、中国語講座も開かれるようになった。

台湾の子どもたちとオンラインで会話をする与那国町の小学6年生の児童ら=9月7日、与那国町の久部良小学校

 前黒島さんは、沖縄本島の高校に進学し、中国語の塾にも通って中国語を磨いた。その後、琉球大学で琉球民俗学を学び、台湾に1年間留学。台湾の人々の壁を感じさせない人なつっこさに引き込まれた。大学を卒業し通訳派遣などを行う会社で経験を積み、通訳として独立した。「第二次インバウンドブームが来ている。選べるほど仕事があって恵まれている」と話す。

 町や町教育委員会の仕事も積極的に請け負っている。一昨年は、花連市との姉妹都市提携40周年記念式典で司会進行を務めた。町への感謝と、子どもたちに自身の背中を見せたいという思いがある。「ここまで中国語をやってこられたのは、町が姉妹都市交流して幼少期から学ぶ環境があったから。そのきっかけをつくってくれた地元に戻ってきて、島のために仕事ができている」。充実した笑顔を浮かべる。

 一方で「台湾有事」が取り沙汰される中、友人や知人、島の人たちに「台湾は怖い」とか「台湾は危ない」と、交流に対し消極的なことも言われるようになった。島外の人と名刺を交換し「与那国出身です」と言うと、島で配備強化が進む自衛隊を念頭に「大変ですね」と言われることも増えたと言い、複雑な思いを明かす。「違和感がある。私の島ってそんなに暗いっけ、って。文化や交流を見てほしい。私を通してもっと台湾や与那国を見てほしい」

 来年3月、町は国の一括交付金を活用し、花連市と与那国町間を高速船で結ぶ社会実験の実施を予定する。町は実績を重ね、定期航路化を目指す。前黒島さんは、島の人々が台湾との心理的距離を縮められるよう支えていくつもりだ。「台湾の人たちは与那国をもっと知りたい、行きたい、という気持ちになっている。でも島の人はまだ台湾が本気で見えていない。与那国の人たちが心を開けるか開けないかだと思う。島民が“一つ屋”として迎えられたら」。島民主体の交流の発展に懸ける思いは膨らむ。

 (中村万里子)

※注:〓は「朗」の下に「土」