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バスケW杯、沖縄での世界的大会が大盛況で幕 当初の不安視、多角的記事で盛り上げる <取材ノート 新聞週間2023>2


バスケW杯、沖縄での世界的大会が大盛況で幕 当初の不安視、多角的記事で盛り上げる <取材ノート 新聞週間2023>2 沖縄で初めて開催されたバスケW杯でパリ五輪出場を決め、喜ぶ日本チーム=9月2日、沖縄市の沖縄アリーナ
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社


 第76回新聞週間が15日、始まった。記者は取材現場でさまざまな状況に直面しながら、どんな思いで記事を書いているのか。報道の在り方を日々模索しながら発信する記者の思いを紹介する。


 8月25日、沖縄市の沖縄アリーナでFIBAバスケットボールワールドカップ(W杯)が開幕した。すり鉢状の構造の沖縄アリーナには、地面から湧き上がってくる地鳴りのような声援が響いた。観客の後押しを受け、日本代表は48年ぶりに自力での五輪切符を手にした。観客はカチャーシーを舞って祝福した。

 今年4月上旬、複数のバスケ関係者から「W杯が開催される実感が湧かない」と、開催への盛り上がりを不安視する声が聞かれた。同月下旬、沖縄バスケットボール情報誌「アウトナンバー」を含めた民間の有志らが「バスケットボールワールドカップ応援団」を結成した。「大会が失敗すれば沖縄バスケ界の今後にも影響する」。関係者にはそんな危機感があった。

 県内メディアとして何かできないかと思い、6月下旬から8月上旬にかけて連載「バスケ王国の系譜」を掲載した。競技人口比が全国一の人気の秘密を解き明かそうと、その起源に迫る企画だ。90代までの関係者に取材したほか、戦前の情報は新聞記事などを参考にした。

 沖縄バスケの始まりは1905年の琉球新報の記事に記されている。「今回始めて執行せしものは高等女學校生徒のバスケットボール」。この記事を発見した県立芸術大学の張本文昭教授は、女学校の当時の学びやが首里城であったため、沖縄のバスケが首里城発祥である可能性が高いと指摘した。

 連載スタート後、琉球新報でバスケW杯取材班が組まれた。取材班で人気漫画「スラムダンク」の登場人物、宮城リョータの故郷を探ったり、琉球新報の記事や写真を展示した報道展を開いたりした。座談会や特集面の掲載、アウトナンバー記者による出場国チーム紹介など、多角的な視点で報道した。

 W杯招致のキーマンである日本バスケットボール協会前会長の川淵三郎氏も取材した。川淵氏は2016年11月、沖縄市の桑江朝千夫市長に電話をかけた。「次のW杯を、沖縄で手を挙げていいか」。桑江市長は突然の話に驚いたが「やらせてください」と喜んで応じた。今年8月、桑江市長は観戦のために来県した川淵氏と食事し「大会が実現し、大の大人が2人で泣いた」という。

 県内で4年に一度のW杯のような大規模な国際大会が開かれるのは初めてだった。桑江市長は「復帰後、政治家の大先輩や経済人が本土に追い付こうと努力して50年がたった。沖縄が世界大会を開くことができるまでに成長した」と、しみじみと語る。大会は最高潮の盛り上がりを見せて幕を閉じた。

この記事を書いたのは
古川 峻 暮らし報道グループ運動班