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はじめて見る父の写真、墓前に響くハーモニカ 涙と笑顔の沖縄訪問 フィリピン残留2世「親族」と対面


はじめて見る父の写真、墓前に響くハーモニカ 涙と笑顔の沖縄訪問 フィリピン残留2世「親族」と対面 親族に見守られながら父・金城幸正さんの写真を手にするカナシロ・ロサさん(左から2人目)=16日、南城市玉城志堅原
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 戦争で親と生き別れになったフィリピン残留日本人2世の2人は16日、それぞれ父の出身地で親族らと対面した。戦後78年が過ぎても無国籍状態のまま80代になり、比政府の後押しを受けて初めて訪れた父の故郷。2人は親族に囲まれながら、戦前に沖縄からフィリピンに渡った父親の写真と「初対面」し、親族らと交流しながら自身のルーツをたどった。


南城・玉城志堅原訪問 カナシロ・ロサさん(80)
父の写真手に「幸せ」

 父・金城幸正さんの出身地である南城市玉城志堅原を訪れたカナシロ・ロサさん(80)は、親族が用意してくれた父の写真を何度も手でさすりながら、「ハッピー」とほほえんだ。

 親族によると、幸正さんがフィリピンに渡航する前の16、17歳ごろに撮影した写真だという。

 初めて目にしたカナシロさんは、バッグから自身の結婚写真を取り出し、幸正さんの写真と重ね合わせた。

 カナシロさんのいとことなる金城進さん(64)は「1カ月前に初めて知ってびっくりしたが、鼻から下が似ているね」と語った。

 カナシロさんは1943年、フィリピンのダバオで生活していた幸正さんとフィリピン人の母の間に生まれたが、まもなく幸正さんが日本軍に徴兵されてしまった。

 「父は(母に)『すぐに戻る』と言ったきり、帰ってこなかった。父の故郷を訪ね、親族と会うことは長年の夢で、『ありがとう』という言葉で足りないくらいだ」

 カナシロさんは集まった親族にお礼を述べた。

 子どものころには実の父親がいなくて、いじめられたことがあったという。幸正さんや親族の仏壇や墓を巡ったカナシロさんは「お父さんと一緒で幸せな気持ちになれた」と涙を流した。

 幸正さんの仏壇を預かっている金城初子さん(71)は「幸正さんは独身で戦死の通知だけが来たと聞いていた。身内が遠いところで頑張っていたのはうれしい」と語った。

 (南彰)


うるま・平安座島訪問 アカヒジ・サムエルさん(81)
めいと共に墓参「感謝」

 アカヒジ・サムエルさん(81)とサムエルさんのめいのオルミド・ミチコさん(53)は16日、うるま市平安座島を訪ね、父だと思われる、赤比地勲さんの親族の墓を訪ねた。「屋号徳赤比地香村家之墓」と書かれた墓の前で、勲さんの兄弟の香村安紀さん(84)から勲さんの写る家族写真を渡され、初めて見る父の若かりし日の姿を見つめた。

親族と思われる香村安紀さん(左)に説明を受け、香村家の墓に向かって手を合わせるアカヒジ・サムエルさん(中央)とオルミド・ミチコさん=16日、うるま市の平安座葬祭場
親族と思われる香村安紀さん(左)に説明を受け、香村家の墓に向かって手を合わせるアカヒジ・サムエルさん(中央)とオルミド・ミチコさん=16日、うるま市の平安座葬祭場

 勲さんがフィリピンに出発する前の17歳頃とみられる家族写真が親族の自宅から見つかり、今回アカヒジさんに見せることがかなったという。

 墓の前に着いたアカヒジさんとオルミドさんは、果物やお酒などを供えて静かに手を合わせた。アカヒジさんは「気持ちを伝えたい」と、墓前でハーモニカを演奏し思いを込めた音色を響かせた。

 赤比地家の親族は戦後、多くの人が香村などの名前に改姓した。現在香村家の墓には、フィリピンで亡くなった勲さんのお骨に見立てた石が入れられているという。

 アカヒジさんは「私の家族のお墓に来ることができたことに感謝している。父にはここに連れてきてくれてありがとう、と言いたい」と笑顔を見せた。

 (福田修平)