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首里城の地下にある32軍壕、周辺施設も公開を 教育やメディアの過ち伝えていくことも重要 シンポで提言 沖縄


首里城の地下にある32軍壕、周辺施設も公開を 教育やメディアの過ち伝えていくことも重要 シンポで提言 沖縄 第32軍司令部壕の保存・公開の意義について意見を述べる手前右から賀数仁然さん、大田光さん、藤原健さん、左手前は司会の大久保謙さん=21日、首里当蔵町の県立芸術大キャンパス
この記事を書いた人 Avatar photo 中村 万里子

 沖縄県は21日、那覇市首里当蔵町の県立芸術大で「首里城地下『第32軍司部壕』周辺に残る戦跡・史跡」と題したシンポジウムを開いた。約90人が参加。沖縄戦に動員された学徒の歴史を伝える解説員や沖縄戦の記憶継承を研究する新聞記者ら、司令部周辺の歴史や関連施設にも詳しい研究者らが登壇。県が保存・公開を進める第32軍司令部壕に加え、周辺の関連施設を含めて公開し、教育やメディアの過ちを伝えていくことが重要だといった意見が出された。

 シンポジウムには琉球歴史研究家の賀数仁然さん、琉球新報客員編集委員の藤原健さん、一中学徒隊資料展示室解説員の大田光さんが登壇した。

 旧制沖縄県立第一中学校の元学徒らから体験を聴き取ってきた大田さんは、沖縄戦で命を奪われた学徒ら一人一人のことを伝えている。ウーマクー(わんぱく)だった一面やペルー帰りの学徒が首里城内で捕らわれていた米兵と会話したエピソードを紹介。「皇国少年という側面だけでなく、戦争に疑問を持っていたのでは。当時、言いたくても言えなかった空気感とあわせて考える必要がある」と実感を込めた。32軍壕や壕周辺で動員された学徒の歴史を伝える必要性も指摘した。

 藤原さんは、32軍壕の近くにある「留魂壕」で沖縄戦のさなかも「沖縄新報」を発行し、戦意を高揚させたメディアの責任を指摘。現在は留魂壕前にフェンスが設置されているため「伝えなければならない記憶が封印されている」と公開を求めた。後世への責任として「県内二紙が協力して案内板を作るくらいはできる」と強調した。

 2人の話を受け、第2部で賀数さんは「あすの社会をつくっていくべき、未来を持った人にしわ寄せがきたことが残念でたまらない。琉球王国時代からひもとくと、沖縄だからこそ背負っている場所として発信していく必要がある。その場所として首里城であり、32軍壕であってほしい」と託した。

 (中村万里子)