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「妊娠したら帰国」沖縄で孤立するベトナム人女性たち 支援するグュェンさんを通して考える「平等」と「エンパワーメント」 <国際女性デー2024>


「妊娠したら帰国」沖縄で孤立するベトナム人女性たち 支援するグュェンさんを通して考える「平等」と「エンパワーメント」 <国際女性デー2024>
この記事を書いた人 Avatar photo 呉俐君

 2023年に日本で働く外国人労働者数は初めて200万人を超えた。少子高齢化が進み、労働力不足が深刻となっている日本社会において、彼らの存在は社会を支える大きな一翼を担っている。しかし、外国人への生活支援体制はまだ十分とはいえない。特に深刻なのは、男性よりも立場が弱い女性労働者だ。来日したベトナム人女性が避妊処置を迫られていた実態が大きな問題となったが、沖縄県内で技能実習生らを支援するグュェン ド アン ニェンさん(名桜大学非常勤講師)によると、沖縄に暮らす実習生たちも同様に妊娠や出産が制限される状況に置かれている。

 3月8日の「国際女性デー」に、グュェンさんの姿を通して県内外国人労働者への支援の現状や課題を掘り下げる。

(呉俐君)

 不当な契約、相談相手いない土地 届かなかった支援

 妊娠したら帰国しなければならないー。近年、技能実習生が来日前に母国の「送り出し機関」から妊娠制限の指導を受けたり避妊処置を勧められたりしていることが明らかになり、問題となっている。日本での生活全般をサポートする国内の「登録支援機関」から、妊娠しないよう指導されていたケースもある。

 昨年、外国人労働者数が1万4406人を数え過去最多を更新した沖縄でも、女性の技能実習生が妊娠をどこにも相談できず、帰国を余儀なくされる状況が発生した。

 新型コロナウイルスが猛威を振るった20〜21年頃。グュェンさんは知人から、ベトナムから来て名護市内に住む20代の女性技能実習生を紹介された。女性は妊娠していたが相談相手がおらず、日本語でのコミュニケーションが難しいため、公的機関も頼れずにいた。

新型コロナウイルスの影響で、多くの航空便が運休となり閑散とする那覇空港=2020年4月

 ただ残念なことにグュェンさんにつながった時点で、女性は既に技能実習生や受け入れ先への指導・監査を行う「監理団体」と帰国を約束してしまっており、航空券も用意されていたという。グュェンさんは「彼女へのヘルプが届くまで時間かかった。何も解決できないうちに帰国してしまった」と悔しがる。

 グュェンさんによると、女性はベトナムの送り出し機関とも「妊娠したら帰国」という不当な労働契約を結んでいたという。

 初の受診体験、医師に突きつけられた「中絶」に動揺

 グュェンさんは、1997年に名桜大学へ交換留学で初めて沖縄を訪れた。その後、母国の大学で教壇に立ち、大阪の国際児童文学館での研究などを経て、2007年に当時1歳半だった娘と共に配偶者がいる沖縄に再び移り住んだ。一家は、本島北部の名護市で暮らすようになった。

 ベトナム人技能実習生との出会いは、2019年頃だ。それまで名護市にはベトナム人がほとんど住んでいなかったが、その頃には地域のスーパーでベトナム語が飛び交うほど、技能実習生が増えていたという。 

 妊娠に不安を抱えた実習生は、他にもいた。グュェンさんは21〜22年の間に相次いで実習生3人に頼まれ、産婦人科に連れて行ったという。3人とも出産する意志があるものの、日本語が流ちょうではないため受診への同行を頼まれたのだという。

 だが、病院の対応は実習生にとってもグュェンさんにとってもショッキングなものだった。

 ある実習生の初妊婦健診の際に医師から「産むか、やめる(中絶)か」という発言を投げつけられた。グュェンさんは「実習生もさすがに動揺して答えられなかった」と振り返る。

 グュェンさんが支援した3人のうち1人は、受け入れている会社との契約がちょうど終了する時期だった。在留資格を「特定技能」に変更して日本で働き続けることを希望していたが、会社が受け入れてくれるか不安を感じ、結局帰国を選んだという。

  「実習生らにとって妊婦健診が日本で初めての病院体験という場合もある。外国人でも気軽に受診でき、妊娠したらすぐに誰かに相談できる仕組みが必要」と話すグュェンさん。「子を授かったことが不安ではなく、素直に喜べる社会であってほしい」と周囲の理解やサポートを望む。

ベトナム人技能実習生らに日本語を教えるグュェン・ド・アン ニェンさん(右)=2021年、本部町

 誰かを勇気づける存在に

 グュェンさん自身も、幼い娘を連れて沖縄にやって来て、配偶者以外に家族も知り合いもいない土地で子育てをしてきた。まだ子どもが小さいうちは「外に出て仕事をしたくても難しい」という悩みも抱えていた。研究の道を中断し、孤独や無力感を感じることもあったという

 2人目を妊娠中にスーパーでアルバイトをしていたとき、たまたま買い物で来店した大学時代の知り合いに遭遇し、「あなたのキャリアがもったいない」と声をかけられた。グュェンさんにとってはその素直な一言が「本当にうれしかった。勇気づけられた」と語り、一歩を踏み出す力になった。

ベトナム人技能実習生らの日本語指導や生活面の支援をする同出身のグュェン ド アン ニェンさん=2月22日、那覇市泉崎の琉球新報社

 「自分も他人に勇気を与える人になりたいと思い、実習生らへの支援を続けてきた」。これからも母国から見知らぬ土地にやってきた若者たちに手を差し伸べ、誰もが暮らしやすい社会を夢見て奮闘するつもりだ。

(了)