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原発と基地 地方に押し付け 識者「国民は自分の問題として」 再処理工場、80年に西表で計画も<東日本大震災13年>


原発と基地 地方に押し付け 識者「国民は自分の問題として」 再処理工場、80年に西表で計画も<東日本大震災13年> 核燃料の再処理工場建設予定地の遠望。丘の向こう側が予定地だったとみられる=徳之島(樫本さん提供)
この記事を書いた人 Avatar photo 中村 万里子

 東京電力福島第1原発事故から11日で13年。事故後も日本政府は原発を推進する一方、使用済み核燃料(いわゆる「核のごみ」)の最終処分地や再処理工場完成は不透明な状況だ。大阪府立大学の斎藤憲名誉教授と大阪公立大の樫本喜一客員研究員は、原発と基地が地方に押しつけられる構図が似ていると指摘。「本来であれば、電気の大部分を消費し、日米同盟下の平和を享受してきた本州の都市部に住む国民大多数が、自分の問題として引き受け解決しなければならない問題だ」と提起する。

 斎藤さんと樫本さんは2019年に発刊した「奄美 日本を求め、ヤマトに抗う島―復帰後奄美の住民運動―」で1970年代に秘密裏に進められた、徳之島の核燃料の再処理工場計画を明らかにした。70年代初頭、計画はコードネームで「MA―T計画」と呼ばれ、74年に極秘裏に現地調査が始まった。

(左から)斎藤憲さん 樫本喜一さん
(左から)斎藤憲さん 樫本喜一さん

 76年に南海日日新聞が計画をスクープすると、徳之島では自治会や婦人会、青年団など住民の反対運動が高まった。一方、米国も日本独自の核物質の獲得につながるMA―T計画を懸念。日本に圧力をかけたため、いったん計画は停滞するも、日米交渉が終わる79年ごろにMA―T計画は再浮上する。徳之島や奥尻島、韓国の済州島などとともに80年2月、西表島も建設候補地として名前が挙がった。

 琉球新報(80年2月20日付)も1面で県原水協の情報として「西表島案」を伝えた。報道に接した竹富町長は反対を表明し、石垣市、竹富町、与那国町の3市町議会も反対を決議した。ただ、樫本さんによると、この時点で本命は本州沿岸部になっていたと考えられ、間接的証拠もないため、欺く情報ではないかと判断できるという。地元の反対運動の強弱を見る「観測気球」だったという見方もある。

 核燃料の再処理工場建設に徳之島は反対を貫き、最終的に青森県下北半島の六ケ所村が地域振興のため受け入れた。樫本さんは「国の政策立案者は都市部の公害反対の世論から隔離する目的があったのだろうが、離島やへき地に住む人々の意向はほとんど配慮していなかった。核・原子力と軍事は本質的につながっており、それらから生じるさまざまな問題のしわ寄せは一部の地域に遍在している」と指摘する。

 斎藤さんは「西表案」に反対した当時の竹富町長が「西表は掃きだめか」とした発言に触れ、沖縄への米軍基地の集中やミサイル配備などを念頭に「今や南西諸島は都合の悪いものを押しつけられる掃きだめになっている。核のごみの最終処分地も、現在は北海道や対馬のような遠い場所が挙がり、本土では無関心が増している」と語り、核や基地を辺境に押し込めるこの国のやり方を憂い、問いかける。

 (中村万里子)