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「医療的ケア児」災害に備えを 重病の息子思い、防災士取得 那覇市の湯地三代子さん 沖縄


「医療的ケア児」災害に備えを 重病の息子思い、防災士取得 那覇市の湯地三代子さん 沖縄 防災士の認証状を手にする湯地三代子さん(右)と息子の駿羽さん=5日、那覇市内の自宅
この記事を書いた人 Avatar photo 渡真利 優人

 11日で東日本大震災から13年がたった。1月の能登半島地震など、今でも全国各地で自然災害が多発する。全身の筋肉が萎縮する重い病気で人工呼吸器が必要な湯地駿羽さん(18)の母三代子さん(49)=那覇市=は2月26日、災害時の避難や救助などについて知識と技能を持つ民間資格「防災士」を取得した。

 「防災士は支援する側の人だが、私は支援される人の親に変わりはない。ただ要配慮者の気持ちが分かる数少ない防災士でもある」と三代子さんは強調する。

 三代子さんは、1995年の阪神・淡路大震災で震度5を観測した京都で被災した。前日まで兵庫県西宮市にいたため、地震の脅威を身近に感じた。2011年の東日本大震災では津波の恐ろしさを知り、沖縄では台風を経験した。自然災害が相次ぐ中、医療的ケアが必要な子と親でつくる「医療的ケア児(者)の明日を守る会ぶる~すかい」を19年6月に結成し、災害時に備えた勉強会を続けている。

 防災士の資格取得を目指したきっかけは、23年8月の台風6号だった。長時間の停電で電源を必要とする人工呼吸機が使えず、病院に避難する家庭や、バッテリーで耐えしのんだ家族がいたことを聞いた。「台風は予測できるものの、地震となればいつ来るか分からないし、どう備えればよいかと不安がさらに募った」

 23年11月に受検を申し込み、24年1月の試験本番に臨んだ。駿羽さんが寝た後の、午前2~4時ごろに勉強に励んだという。資格の勉強中だった1月には能登半島地震が発生。「勉強と現実が重なった。意味がある時に勉強できた」と話す。

 ぶる~すかいでは、診療録(カルテ)を家族も共有し保管する「在宅手帳」が必要と訴えている。「災害時はかかりつけ医にたどり着くことが困難なことも予想される。他の医者や看護師にも適切に情報を共有できる仕組みを構築することが必要」と強調する。

 5日に届いた認証状と防災士証を手に「知識を生かし、声を上げていきたい。当事者の気持ちが分かる防災士として活動できれば」と意気込んだ。 

(渡真利優人)