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「遠くの出来事ではない」重なる沖国大事故 墜落の恐怖抱えたまま <危険な空再び オスプレイ飛行強行>上 


「遠くの出来事ではない」重なる沖国大事故 墜落の恐怖抱えたまま <危険な空再び オスプレイ飛行強行>上  CH53D大型輸送ヘリコプターから黒煙が上がる沖縄国際大学の墜落現場=2004年8月13日、宜野湾市宜野湾の沖縄国際大学(宮里秀雄さん撮影)
この記事を書いた人 Avatar photo 名嘉 一心

2004年8月13日午後2時すぎ、宜野湾市内で自営業を営む宮里秀雄さん(60)は息子を塾に送り届けた後、米軍普天間飛行場を囲むフェンス沿いにバイクを走らせていた。沖縄国際大学の辺りで、フェンスをよじ登る米兵を目にした。兵士らはぞろぞろと同大学に向かって足早に進んでいったため、「何かが起きている」と感じ、米兵の背中を追った。

  校内に入ると、衝撃的な光景が広がっていた。墜落したヘリコプターが黒煙を上げていた。しばらくすると米兵に外に出るよう促されたが、同様に日本の消防士や警察官も現場から追い出されていた。

 事故から19年後の昨年12月、鹿児島県屋久島沖で米空軍のCV22オスプレイが墜落した。「やっぱりか」。沖国大での事故が宮里さんの脳裏をよぎった。米軍普天間飛行場には24機のMV22オスプレイが配備されている。普天間のMV22は屋久島で墜落したCV22と基本構造が同一とされており、宮里さんにとって「遠くの出来事」ではなかった。

 屋久島での墜落は、国内で運用されているオスプレイとして初の死亡事故だった。事故後、約3カ月の飛行停止措置を実施した日米両政府は事故原因を特定し、安全対策を施したとして14日以降の飛行再開を決めた。

 飛行再開にも米側は肝心の「事故原因」を公表せず、日本政府も追従する。宮里さんは「この国が自立しているとは思えない」と話し、沖国大での事故と重なると嘆く。「安全が保障できないのであれば日本政府は飛行を認めないでほしい」

 普天間飛行場は世界一危険な基地と言いながら、移設先は辺野古が唯一無二として、新基地完成まで普天間を放置する政府の姿勢にも疑問を抱く。「オスプレイははっきり言って賛成できない。生活にかなり支障を来している。騒音も、常に落ちてくるのではないかという不安も」。あの時沖国大で目の当たりにしたヘリ墜落事故が繰り返されないことを祈り、市民の安全を守る政府の対応を願っている。 (名嘉一心)
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 全世界で運用を停止していた垂直離着陸輸送機V22オスプレイが14日にも飛行を再開する。宜野湾市民の思いや、欠陥機と言われる背景、オスプレイの位置付けを専門家に聞く。