「ザイノウエブラザーズ」の井上聡さん(45)=読谷村=がソーシャルデザインに目覚めたきっかけは、2001年の米中枢同時多発テロだった。白人社会のデンマークでは移民を警戒する傾向が強まっていた。
こうした排外的風潮に国内の大手デザイン会社が「外国人の皆さん、ここをデンマーク人だけにしないでください!」とのメッセージを載せたポスターをコペ
ンハーゲンの街中に貼った。人々の緊張を解きほぐすことにつながったという。井上さんはこのポスターを通してソーシャルデザインの力を感じ、自身も実践することを決意。弟の清史さん=英国在=と妻のウラさんと共に会社を設立した。
最初に実践したのが南米のアルパカプロジェクトだ。ボリビアやペルーに何度も通い、アンデス山脈の遊牧民や工場関係者の信頼を得て高品質の原料をフェアトレードで買って適正な価格で製品を展開した。
デンマークで会社の知名度は上がる一方、移民に対する風当たりは強まっていった。このため井上さんは海外移住を検討。家族旅行で訪れた沖縄を気に入り、22年から読谷村に移り住んだ。
それ以前に、日本にある両親の故郷を訪ねても「日本人」として受け入れられているとは感じなかった。だが沖縄では誰もが受け入れてくれた。「差別され続けてきた人生だったが、こんなに自分を受け入れてくれる土地は初めて」と感謝している。その上で沖縄は「『琉球』と『日本』がごちゃ混ぜになったのが『沖縄』だ。どんなに時を経ても沖縄から琉球がなくなることはない。こんなにかっこいいカルチャーは日本の他にはない」と力説する。
全国最下位の所得の沖縄に居を移した後、長年取り組んできたSDGs(持続可能な開発目標)の「貧困をなくす」「環境保全」の目標実現に向け、「琉球藍プロジェクト」を開始した。
井上さんは構造的な貧困が生まれる要因に「大量生産・大量消費」のビジネスモデルを挙げる。「素材や原料を生産する人々の利益は仲介企業にほとんど持っていかれる。だが生産者は貧困を背景にした知識の不足からその構図に気付けず、貧困は再生産される。生産者が住む地域の環境も破壊される」と説明した。
その上で「この問題は本土企業がリゾートホテルを建設して大きな利益を上げる一方、受付や清掃といった低賃金の仕事は地元の人々が中心になるといった沖縄の観光産業に当てはまる。デザインの力を通じて、沖縄がフェアなトレードをできるようにしたい」と力を込めた。
(梅田正覚)