「もっと上へ」 園児のカート押し手伝ってくれる人も 津波警報 よぎった能登や東日本 沖縄


「もっと上へ」 園児のカート押し手伝ってくれる人も 津波警報 よぎった能登や東日本 沖縄 高台に避難する子どもたち=3日午前9時半ごろ、南城市佐敷新里(画像の一部を加工しています)
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 4日、沖縄本島は津波が到達しなかったものの、津波警報は発表された。各地で人々が高台へ、ビルの高層階へと避難した。

 1万5000人超の乗客に影響が出た那覇空港では、乗客らが建物の3階に避難。午前10時10分発の便で東京に行く予定だった40代女性=南城市=は「息子の入学式が明日なので、一緒に向かう予定だった」と話し、変更便の情報を待った。

 海の玄関口である泊港では数百人の旅客らがターミナルビルのテラスなどに避難した。午前9時過ぎ、避難を呼び掛けるアナウンスが流れる中、港湾作業員らは津波対策に追われた。

 いったん出港した高速船などは帰港し乗客を降ろした後、再度沖に船を退避させた。渡嘉敷村の男性(69)は「警報が出て、慌てて下船した。東日本大震災の時も船が出ずに長時間足止めされた。何も被害がなければいいが」と海を見つめた。

 南城市佐敷新里にある保育園では、0~5歳児の88人を連れて避難を始めた。近くの公民館に向かったが、消防関係の保護者が「もっと上へ逃げた方がいい」と言い、保育園から約2キロ先にある市役所を目指した。

 2歳児までの園児は5台のカートに分乗し、勾配のきつい坂道を職員が押しながらの移動だった。一緒に押すのを手伝ってくれたり、ペットボトルの水を差し入れたりした人たちもいたという。約1時間かけて無事に市役所に到着した。

 標高約110メートルにある沖縄市役所には約100人が避難した。子ども2人と訪れた女性(31)は「普段は市役所まで10分くらいで着く。今日は渋滞で40~50分かかった。避難場所は決めていなかったが、取りあえず高台に向かった」。

 ちゃたんニライセンターに1歳と2歳の子どもを連れて避難した女性(39)は、家のすぐそばが海だ。「最初は残ろうかと思った」というが、繰り返す警報に「能登や東日本大震災の映像が浮かび、危機感を持った」と避難所に足を運んだ。

 名護市東江の事業所に勤務する男性(57)は、警報発表後すぐに、同僚らと高台へと避難した。すでに社外へと出ている社員とは電話で連絡を取り合い、避難を促した。「(能登半島地震など)県外の地震の記憶もあるので急いで避難した。何も被害がなければいいが」と話した

(吉田健一まとめ)