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「きょうは何の日?」 教え子とともに、観光客に問いかけ20年 国頭・辺戸岬 復帰52年


「きょうは何の日?」 教え子とともに、観光客に問いかけ20年 国頭・辺戸岬 復帰52年 国頭村の辺戸岬の祖国復帰闘争碑前で観光客に日本復帰の思いや基地問題などを説明する山城正二さん(写真中央)と金城健一さん(同右)=15日、国頭村
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 【国頭】「今日は何の日か知っていますか」―。国頭村辺戸岬の祖国復帰闘争碑の前で山城正二さん(88)と金城健一さん(79)は観光客に問いかける。約20年間、復帰の日になると辺戸岬に足を運び、日本復帰や基地問題などを訴えてきた。

 山城さんは中学社会科教師として38年間、生徒に平和や人権の大切さを伝えてきた。原点は沖縄戦で妹を失った経験。「兄ちゃんは平和と命の大切さを教える先生になる」と決意し、教師になった。復帰前、新聞などで本土の人の住所を見つけては、米軍の圧政にあえぐ沖縄の現状を訴えて日本復帰への支援を求める手紙を送り続け、その数は2千通になった。

 しかし、復帰後も米軍基地配備は続き、辺野古新基地建設が強行された。変わらない現状に憤り、約20年前から金城さんとともに、復帰の日は辺戸岬で立ち続ける。山城さんは「命ある限り訴えていく」と力を込めた。

 金城さんは、山城さんの最初の教え子。52年前の復帰の日、金城さんは婚姻届提出と結婚式を行った。「パスポートなしで新婚旅行に行きたかったから」だ。当時は那覇市役所の職員。結婚式が始まると同僚たちがずぶぬれで現れた。雨の中、与儀公園で開かれた復帰への抗議集会に参加したからだった。

 金城さんは「憲法手帳」を肌身離さず持ち歩く。結婚式に出席した当時の平良良松那覇市長から「希望を託し続けてきた憲法だ」と渡された。あれから52年。金城さんは「ここでの訴えは小さいが続けていく」と語った。

 (玉寄光太)