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LGBTQ「どんな組織にも当事者」 沖縄県警を退職し起業の岸本さん 自分らしく


LGBTQ「どんな組織にも当事者」 沖縄県警を退職し起業の岸本さん 自分らしく 警察官を辞め、出張採寸専門のオーダースーツ屋「MYRO」を起業した岸本哉子さん=6月、与那原町
この記事を書いた人 Avatar photo 前森 智香子

 LGBTQ(性的少数者)の力になりたいと「天職」を辞め、自分の道を歩み始めた。那覇市出身の岸本哉子(かなこ)さん(45)は、23年勤めた県警を昨年退職し、出張採寸専門のオーダースーツ屋「MYRO」を起業した。自身も恋愛対象となる相手の性を問わない「パンセクシャル」であることを明かし、「みなさんの近くにもきっと当事者がいる。理解は難しいかもしれないが、存在を認めてほしい」と訴える。

 県立小禄高校では陸上部に所属し、駅伝を先導する白バイ隊員に憧れた。警察官を目指し、2000年に採用。中学生ごろから女性も恋愛対象だと自覚していたが「警察でやっていくなら、一生隠し通さないといけない」と覚悟した。交際していた女性に別れを告げた。

 24歳で男性と結婚し、2人の子を授かった。すれ違い、30代前半で離婚した。現在は2人の子どもと、パートナーの津波利奈さん(38)と4人で暮らす。

 仕事は充実していた。機動隊員やレンジャー隊員など、県警で数々の「女性初」のポジションを経験した。「逮捕術」の技を競い合う大会では、県警の女性個人の部で連続優勝を果たしたほか、全国2位、九州2位にもなった。

レンジャー隊員時代の岸本哉子さん。機動隊員やレンジャー隊員など、県警で数々の「女性初」のポジションを経験した(本人提供)

 誇りを持って職務に当たる一方、自身を偽っているという意識がつきまとった。職場でLGBTQの話題になり、からかうような発言を耳にすることも。「ばれるのが怖い。早く終わってくれ」。ごまかそうと無理に笑った。

 在籍期間が長かった刑事部では、2人1組での行動が基本。同性パートナーの存在を隠すため、ペアを組む相手にも本音は話せなかった。小さなうその積み重ねに苦しんだ。飲酒量が増え、自傷行為に及ぶこともあった。仕事のパフォーマンスは下がっていった。

 県警では毎年3月末に、退職者を盛大に送り出す。家族と一緒に祝福される上司の姿を見て「自分も定年まで勤め上げてここに立つ」と思う一方、「同性パートナーを連れていけるのか」と悩んだ。

 2022年、両親の体調不良で退職が頭をよぎり、起業セミナーに参加した。自身と向き合い、自分らしく生きたい気持ちが強まった。悩み抜いた末、「カミングアウトするなら、組織に迷惑はかけられない」と、23年6月に退職した。10年以上連れ添う津波さんとの関係は、退職直前に初めて子どもたちに伝えた。当初は驚いた様子だったが、自然と受け入れてくれた。

 退職後はLGBTQに関わる仕事を考え、オーダースーツにたどり着いた。当事者から「サイズが合うスーツがない」との悩みも聞いていたためだ。店名のMYROは「自分の生きる道を切り開く」との思いで、マイ・ロード(わが道)からつけた。

 公表後は世界が一気に広がった。「堂々とできるようになって、気持ちが楽になった」。LGBTQ関連イベントに参加したり、動画投稿アプリTikTok(ティックトック)でライブ配信したり、活動の幅を広げている。9月には与那原町で当事者やそれ以外の人も気軽に足を運べるようなバーを開業する予定だ。

 どんな組織にも、どんな職種にも、今も言えずに苦しんでいる人がいる。そうした人の力になれるように、地道に歩んでいく。

 (前森智香子)