松川正則宜野湾市長(70)の急逝を受けて26日、地元の宜野湾市には衝撃が走った。市職員や市民らは一斉に驚き、「受け止めるのが難しい」「命を懸けて頑張っていた」「まだ若いのに残念」などと悼んだ。米軍普天間飛行場の跡地利用の要請で訪れていた東京での突然の逝去。2018年、松川市長の1期目就任から支えてきた和田敬悟副市長は会見で、「本当に非常につらい一日で職員も落胆に暮れている」と口にした。
宜野湾市役所の職員らは26日午前、情報収集などに追われた。「事実なのか」との問い合わせが殺到したという。
「議題も知らされず、何事かと思った」。各部長らは午前10時半に緊急の会議に招集された。関係者によると、和田副市長が訃報を伝えると場は静まりかえり、涙する人もいたという。
松川市長の座右の銘は「僕の前に道はない、僕の後に道はできる」。ある女性幹部は「自分が率先し、背中で語る人で尊敬していた。普天間飛行場の返還に向けて、命を懸けて頑張ってらっしゃった」と涙を浮かべた。
「市民の思いを、温度差のある東京へ伝えに行ったさなかに亡くなって、受け止めることが難しい」と語るのは宮城竜次デジタル推進課長。「市長は常々『市政を止めてはいけない』と言っていた。今は職員一丸で行政サービスを続けることが、市長に報いることになる」と前を向いた。
役所はいつも通り市民で混雑した。テレビで訃報を知った保良(やすら)トヨさん(75)=市我如古=は「政府と対立せずにスムーズに市政運営をしていた。市役所の駐車場も拡充してくれた。まだ若いのに残念」と話した。
和田副市長は25日午後6時過ぎに出張中の松川市長に電話で「疲れているから早く寝てください」などと伝えたという。これが最後の会話となった。松川市長と同じ行政出身で「何事にも市民を一番に考える人で、私が先走ると『市民のことをよく考えろ』とよく注意された」としのんだ。
松川市長の遺体が搬送された東京都の警視庁赤坂署には、出張に同行していた市職員らが待機し、続いて遺族ら近親者が到着した。市職員の連絡を受け駆け付けた又吉信一後援会長(80)=県軍用地等地主会連合会顧問=は「びっくりして頭が真っ白になった。さまざまな事業で先が見えてきて、残り2年でさらに進めていこうとする中でこうなって本当にショックだ」と語った。
(梅田正覚、名嘉一心、明真南斗、金盛文香、石井恭子)