広島県出身の比嘉もえ選手(大阪・四天王寺高2年)はプロ野球広島で活躍した寿光さん(43)を父に持つ。夏休みなどの機会に小学5年まで年に1度は沖縄を訪れ、海でウミガメを見た思い出などをつくった。小学5、6年で全国優勝すると、国内外の大会で年間日程が埋まり、沖縄に来る機会がなくなった。
3歳の頃に始めたクラシックバレーで柔軟性を身につけ、幼少期から水で遊ぶことが好きだった。天満小3年の時にASを始めた。宮崎県出身の母・慧夏さん(42)が、食欲旺盛で背が高く、持久系の運動が得意な比嘉選手の素質を見抜き、体験教室に連れて行ったことがきっかけだ。小5でJOCジュニアオリンピックカップのソロで優勝。翌年はソロ、デュエット、チームで3冠を果たした。
祖父の保雄さん(73)=豊見城市=は、幼少期の比嘉選手の足の速さに驚いたことがある。「手足が長くて強く、陸上選手のようだった」と語る。明るくて物おじしない性格で「負けず嫌いで自分で納得しないと何回も繰り返すところは寿光と似ている」と語る。
小6で初の国際大会に挑み、ソロで銅メダルを獲得。観音中2年の時にAS史上最年少で日本代表入りし、22年世界選手権で3個のメダルを獲得した。翌年の世界選手権は安永真白選手(井村ク)とデュエットを組み、テクニカルルーティンで日本勢22年ぶりの金メダリストになった。
五輪会場のアクアティクスセンターには、寿光さんと慧夏さんも毎日応援に駆けつけ、寄せ書きの旗や日の丸の扇子などを持ってエールを送っていた。
会場の歓声に驚いたチーム最年少の比嘉選手は両親を見つけ「本当にいるんだと思った。安心できた」と笑顔で語った。
(古川峻)