競技会場だけでなく、カフェでの応援などパリの至る所で盛り上がったパリ五輪。街中がドレスアップされ熱気を帯びた背後で、五輪へのくすぶる不満を抱く人もいた。
開会式があった7月26日、パリ18区の区役所前で、路上生活者による抗議があった。彼らは五輪期間中、パリ郊外の一時的な仮設住まいに送られた。
目撃したジェンヌ・バティラさん(52)によると、ほとんどがアフリカ系の黒人で女性や子どもだったという。「結婚式によく撮影される場所が普段と違う光景でショックだった。望まない場所に排除するのは悲しい」と首をかしげた。
同様の抗議は8月6日にも、五輪エンブレムが置かれるバスティーユ広場で行われた。現場にいたヴィンセント・ボイヨンさん(37)によると、100人規模が集まってテントを建てていた。「フランスは住宅難のチャンピオン」と描かれた横断幕が掲げられた。ボイヨンさんは「誰もが路上生活者になりうる。五輪で隠すなんて恥ずかしいことだ」と憤った。
11日に閉会式が行われた競技場(スタッド・ド・フランス)はパリ郊外のセーヌサンドニ県にあり移民系家庭出身者が多い。低廉な住宅が建ち並び、移民の受け入れ先になってきた。05年には警察官に追われたと思った少年2人が変電施設で感電死したことによる暴動の起点になった。
この地域に住むモロッコ出身でバス運転手のユヌスさん(47)は「過去5年で生活は苦しくなるばかりだ。五輪やセーヌ川のために大金を使っている場合ではない」と嘆いた。
五輪期間中は抗議すると警察にライセンスをはく奪され、罰金を支払わされるという。パリではデモやストライキは珍しくないが、五輪中は息を潜めていた。ユヌスさんは「9、10月に五輪の反動が来るだろう。友人は皆ストライキをやりたがっている」と話した。
(古川峻)