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沖縄と京都の「姉妹校」、半世紀ぶり再会を心待ちに 「今の沖縄見てほしい」


沖縄と京都の「姉妹校」、半世紀ぶり再会を心待ちに 「今の沖縄見てほしい」 懐かしい写真を前に半世紀前の交流を振り返る新城修さん(左)と新垣仁栄さん=15日、宜野湾市
この記事を書いた人 Avatar photo 宮沢 之祐

 沖縄の日本復帰前に姉妹校となり、昨年から交流を再開させた沖縄市の山内中と、京都府木津川市の泉川中の卒業生が20日、半世紀余りを経て再会する。復帰運動が盛んだった当時、相互訪問や文通を重ねた京都の7人が来沖する。山内中の卒業生や元教員らは懐かしさを募らせるとともに「米軍基地が残る今の沖縄を見てもらいたい」とも願っている。

 両校は1965年に姉妹校締結をした。京都ユネスコ倶楽部(現・京都ユネスコ協会)の仲立ちだったとみられ、泉川中は67~71年に計5回の訪問団を派遣し、生徒や教員が山内中を訪れた。

 山内中からも65年、教員だった新垣仁栄さん(83)が泉川中を訪問。68と70年には生徒有志を伴って訪ねた。

 復帰後に交流は途絶えたが、姉妹校だったことを知った泉川中の教諭西野千代さんが2022年に山内中を訪問。23年に平和学習の一環として交流を再開させ、オンラインで生徒が一緒に授業を受けたり、意見を交換したりした。今回は、泉川中の生徒が平和学習の成果や交流の感想をつづった文集を、卒業生と共に太田智之校長ら現在の教員が山内中に届ける。

 これに対して山内中の卒業生で、地元に住む新城修さん(70)が同級生らに声をかけ、同窓会を開くことに。約30人で歓迎する予定だ。

 新城さんも68年と70年に京都を訪ねた。パスポート持参の「国際交流」だった。「出会った生徒がはきはき意見を言っていた」と振り返る。「沖縄のことは知られておらず、自分たちが発信していこうとも思った」

 米軍の統治下だった当時、米兵による事件や事故が相次ぎ、子どもも犠牲になった。新垣さんは「平和憲法がある本土への復帰を心から願った。泉川でもそんな話をしたと思う」と述懐する。「思い出話をしたい。平和を願う心をもう一度確認したい」と新垣さん。再びの交流を心待ちにする。 

(宮沢之祐)