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5本の指、切断も…ハンセン病施設の入所者が命削る壕堀り 沖縄戦当時は「園外避難も許されず」 名護・愛楽園


5本の指、切断も…ハンセン病施設の入所者が命削る壕堀り 沖縄戦当時は「園外避難も許されず」 名護・愛楽園 愛楽園内の入所者らによって掘られた「早田壕(ごう)」=1日、名護市済井出の沖縄愛楽園
この記事を書いた人 Avatar photo 玉寄 光太

狭い壕、頭上には爆音…ハンセン病患者たちが見た「沖縄戦の始まり」10・10空襲から続き

 名護市済井出のハンセン病療養施設沖縄愛楽園の敷地内にある小高い丘。丘の斜面には、高さ1.5メートルほどの横穴がいくつもある。1944年10月10日の10・10空襲をはじめ、沖縄戦当時に壕として利用された。穴の壁面には、ツルハシやスコップで掘った跡があり一直線に伸びている。慎重に進むとほかの壕へつながる通路に突き当たる。この空間だけ時が止まっているようだった。

 横穴は、多くの入所者が避難した壕の一つで「早田壕」と呼ばれる。当時の早田晧園長にちなんでいる。壁一面に貝の化石がせり出し、まるで鋭利な刃物。案内した同園交流会館の鈴木陽子学芸員がつぶやいた。「入所者の命を守ると同時に、命を削った場所だ」

 早田園長は1944年3月に赴任した。同年7月頃から比較的症状の軽い入所者らに「働かざる者食うべからず」と、園内に壕を掘るよう指示した。園は海に面し、化石が密集した地層がある。欠けた化石は誤って触れると、手を切ってしまうほど鋭い。それにも関わらず早田園長は半ば強制的に入所者に壕掘りをさせた。

 ハンセン病特有の症状として、末(まっ)梢(しょう)神経がまひした入所者も多い中、無理してツルハシやスコップを握った。手で掘る作業で入所者の手指は自覚しないまま傷付き、気付いたときには切り落とさないといけないほど悪化した人もいた。

 証言記録によると、入所者の故知花重雄さん=当時20代前半=も壕を掘った。負傷し破傷風になり高熱に苦しんだ。薬品は不足し、治療らしいこともない。それ以上ひどくはならないとして、5本の指を切断された。知花さんは「(道具を)握るとどうしても無理するから悪くなっているんだよ」「戦争犠牲者だって言いたいよ」と証言を残している。

 72棟あった建物のうち、無傷は火葬場や納骨堂など4棟だけだった。鈴木さんは「入所者はハンセン病患者ということで園外に避難することを許されなかった。壕に押し込められて不衛生な生活が続き、病気の悪化や栄養不良で約300人が死亡した」と指摘する。

 壕は入所者の命を守り体や命を削った。鈴木さんは「国を守るためなら多少の犠牲は仕方ないとする雰囲気を感じる。しかし、戦争の犠牲は弱い者に凝縮されて現れることを愛楽園は伝えている」と強調した。

 (玉寄光太)