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辺野古、安和事故巡り読者からの手紙 検証報道「国による分断を記者が結びつけた」 沖縄


辺野古、安和事故巡り読者からの手紙 検証報道「国による分断を記者が結びつけた」 沖縄 使用再開後、ネットフェンスを持った警備員が増えた安和桟橋前の事故現場。足元には花がささげられていた=8月22日、名護市安和
この記事を書いた人 Avatar photo 南 彰

 秋の新聞週間中の17日、うるま市の70代女性の読者から本紙記者に手紙が届いた。A4判で3枚の手紙には、辺野古新基地建設の土砂搬出に使われている名護市の安和桟橋前で、警備員男性と抗議活動中の女性がダンプカーにひかれて死傷した事故の歴史的経緯と、新聞による検証報道への感謝がつづられていた。

 事故を巡っては、沖縄防衛局が住民らの抗議活動について「民間人に対して危険・危害を及ぼす妨害行為」と決めつける見解を発表。インターネット上には抗議活動を中傷する投稿があふれている。

 手紙を書いた女性は18日の取材で、「新基地建設で働いている人も100%賛成しているわけではないが、国は一生懸命生きているウチナーンチュを対立させる形で、国策を進めようとしている。私たちは国による分断とも闘っていると感じる」と指摘。「現場の警備員やダンプカーの運転手などの話を聞いた検証報道がなければ、私たちは分断されたままになった。記者のおかげで結びつけてくれた」と語った。

(南彰)

安和桟橋前の事故現場=9月5日、名護市安和

<読者からの手紙要旨>「立場超え、労う気持ち」「国の圧力へ、声上げる」

 6月28日に安和桟橋で起こった死傷事故の事実関係を巡って、運転手、警備員の方々への丁寧な聞き込みを通して検証し、報道して下さった新聞社の記者さんに心より感謝申し上げます。

 辺野古新基地建設の土砂搬出が、2018年に安和桟橋で始まった。プラカードを掲げて、牛歩抗議行動も行われた。

 運転手と警備員に「ありがとう」の一礼をしてプラカードを掲げ牛歩で歩道を渡る。渡り終わってもう一度「ありがとう」の一礼をする。立場は違っても運転手、警備員、私たちは互いに尊重し合った関係であった。

 「痩せたね、体大丈夫ですか」「水飲んでいますか」と声をかけ合い、しばらく顔が見えないと心配し、互いに年を重ねたことを実感したものだ。時には警察官ともそういう会話があった。

 私たちの不思議な関係は互いに労わる気持ちを生み、暗黙のルールを生み出してきた。この気持ちは防衛局職員以外のダンプ出入り口で働く労働者と抗議者にも共有するものであった。

 立場が異なる私たちの不思議な気持ちの交差はいったいどこから生まれてくるのだろうか。アメリカ統治下の銃剣とブルドーザーの強制土地接収とも似たような気がしてならない。米軍に土地を奪われた住民は、生活のため奪った張本人の米軍基地で働かざるを得なかった。沖縄戦を生き抜いて、平和を求めてやまない住民の心に反する環境で「反戦平和」「基地撤去」の声を上げ運動の中で複雑な気持ちを抱きながら生きるために働いた。

 ウチナーンチュは常に矛盾の中で生きてきた。矛盾の中で生きることの難しさを私たちはよく知っている。だから相反するような立場に見えても互いに労わる気持ちが交差するのだろう。

 日本政府にとってウチナーンチュの分断、労働者と抗議者の分断は国の政策を成し遂げるために必要なのだろう。私たちは負けてはならない。

運転手が事業者側に誘導の危険性を指摘し、事故の責任を問うている。この勇気ある発言に感謝と共に救われた思いだ。辺野古新基地建設反対の民意は、絶えず矛盾の中で生きているウチナンチュが、共にヤマト政府の分断攻撃とも闘っているのだと思った。ますます増え続けるだろう国の政治的圧力に、それぞれの立場から声を上げ繋がっていきたいと思う。