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那覇軍港返還に合意も移設先選定が難航 50年前の那覇市長「空手形」 曲折経て浦添西海岸に、しかし移設完了には16年 


社会
那覇軍港返還に合意も移設先選定が難航 50年前の那覇市長「空手形」 曲折経て浦添西海岸に、しかし移設完了には16年  那覇軍港の移設予定地となる浦添市西海岸=2020年8月、浦添市西洲(小型無人機で撮影)
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 1974年1月30日の日米安全保障協議委員会で、那覇港湾施設(那覇軍港)などの返還が合意された。ただ、那覇軍港などは移設後を条件に返還するとされた。軍事機能の維持を条件とした返還には当時から批判の声があった。琉球新報は「返還ではなく空手形をもらったようなものだ。意味がない」という平良良松那覇市長(当時)の言葉を伝えている。

 移設先の選定は難航した。82年には西銘順治知事(同)が、県議会で移設先について「具志川市天願の軍桟橋が適当」という見解を示したが、強い反発を受けた。90年には泡瀬通信施設が有力視されたが、これも強い反対を受けた。

 95年5月の日米合同委員会で移設先が浦添ふ頭地区内と決まった際、浦添市は「西海岸開発事業に著しい障害になる」と強く反対した。だが、99年に稲嶺恵一知事(同)が政府案の受け入れを表明し、2001年に儀間光男浦添市長(同)も受け入れを表明した。

 13年、移設反対を公約に掲げた松本哲治氏が浦添市長に当選したが、15年4月に「市益の最大化を図り、本市の持続的発展のため受忍すべきと決断した」と公約を撤回した。

 玉城デニー知事は20年、政府に那覇軍港の先行返還を要請したが、国は受け入れなかった。

 23年4月、日米が軍港代替施設の形状や施設配置に関する計画に合意した。

 玉城知事は今月18日の記者会見で「基地負担の軽減と産業振興の観点から早期の返還が必要」という認識を示した。ただ、移設が完了するまでには手続きや工事などに少なくとも16年はかかるとされ、依然として返還は遠い。

(沖田有吾)