戦後沖縄が、日本から切り離され米国の施政権下に置かれた1952年4月28日のサンフランシスコ講話条約の発効から72年を迎えた。「屈辱の日」と言われ、復帰後も基地集中を招く契機となった。
50年代、日本では米軍基地反対運動が広がった。基地で発生する事件事故への反発や、平和への機運から巻き起こった市民運動は、山梨や静岡、岐阜から海兵隊を撤退させた。しかし、海兵隊が移駐したのは、米施政権下にあった沖縄だった。その後も海兵隊の多くが沖縄に拠点を置くようになった。
沖縄が日本に復帰した72年5月15日当時、沖縄の米軍専用施設面積は2万7892・5ヘクタールあり、全国の58・8%が県内に立地していた。
それから50年がたった2022年3月31日時点で、全国の米軍専用施設の70・3%が県内に集中しており、比率は大きく上昇した。県内の米軍専用施設面積自体は1万8452・5ヘクタールと、復帰当時と比べて3割以上削減されたものの、県外にある米軍施設の返還がそれ以上のペースで進んだため、沖縄への集中度合いはかえって高まった。
中国が超大国として勃興する以前、沖縄周辺の情勢が現在に比べて穏やかだった時代に基地の削減が進まなかったことが大きく響いた。台湾情勢や尖閣諸島を巡って軍事的な緊張が高まっている現在では基地負担の軽減が不透明になっている。
2010年代以降は海洋進出を強める中国を念頭に、南西諸島で自衛隊の駐屯地整備が急速に進んだ。米軍専用施設と自衛隊施設を単純合算した総面積は18年を底に増加基調に転じている。
玉城デニー知事は常々、米軍の整理縮小がないままでの自衛隊増強は「沖縄県の基地負担増加につながる」として、政府の姿勢にくぎを刺している。
(知念征尚、沖田有吾)