創業70年、4代目の挑戦
戦後、焼け跡のまだ残る闇市の中から姿を表した「民芸酒場 おもろ」(以下「おもろ」)。1953年の開業以降、舞踊家の真境名由康や島袋光裕など、琉球文化を支える多くの文化人に愛されてきた。70周年を迎えた昨年、装いも新たに那覇市壺屋のサンライズ通りに移転。現店主であり、初代の孫にあたる新垣亮さん(47)に話を聞いた。
「おもろ」は戦後、アメリカ統治下である1953年に那覇市桜坂近くの中通りで開業した。店の名付け親は画家の南風原朝光。カウンターに5、6人座れば満員という小さな店ではあったが、ウイスキー全盛の時代に堂々と泡盛が飲めるお店として、泡盛党から強い支持を得た。
「この時代、泡盛は恥ずかしいものとして隠れて飲まれていたんです。その中でオジーは『琉球の酒を大事にしなければ』と泡盛一本だけを出していたそうです」と話すのは、初代店主・盛市さんの孫であり現店主の亮さん。
63年にグランドオリオン通り近くに移転してからは店内を拡大。店内にはやちむんやバーキをはじめ、かつて新城島で作られていたパナリ焼きなど、琉球文化の民芸品を並べた。やがて民芸運動や祖国復帰運動の熱が高まるにつれ、大嶺政寛(画家)や末吉安久(画家)、県外からも棟方志功(板画家)や山下清(画家)などが訪れ、文化人の交流の場となっていったという。
4代目としての決心
亮さんが初めて「おもろ」の門を叩いたのは30代の頃。3代目である父・則武さんが営む店に客として訪れた。以来、店の手伝いを始めるようになった亮さん。ときおり則武さんから後継の話をされるも、歴史あるお店ゆえの責任の重さから、即断はできなかった。そんなある日、則武さんが病に倒れる。当時のことについて亮さんは「店に立たないといけない状況になったことで、ようやく決心がつきました」と振り返る。
「誰かが続けないと長い歴史が途絶えてしまう、という危機感ですよね。それと『残してほしい』という周囲の方の声も後押しになりました」
常連で染物作家の平井真人さんは「沖縄文化発祥の地と言っても過言ではない。多くの文化人・著名人に愛されてきたそのようなお店が、今の時代に存在し続けていることが貴重ですよね」と話す。
現代と伝統の融合
昨年7月に那覇市壺屋のサンライズ通りに移転した「おもろ」。繁華街に一線を画す古民家風の外観。敷居をまたぐと、琉球時代から使われている香草ヤマクニブーの香りが郷愁を感じさせる。
内観は店の雰囲気をそのままにと、カウンターや棚板、窓、柱など内装を移築。細かい部分は当時の資料を集めて再現したという。
「オジーだったらどうするかを常に考えながら店づくりをしています」と亮さん。
提供しているのは伝統的な琉球料理。泡盛は古酒にこだわり、カラカラとちぶぐゎーで出している。
「これまでは知る人ぞ知るお店だったのですが、これからは県内外問わず多くの人に発信していきたい。沖縄の民芸品や料理、古酒の良さを知るきっかけになれたら」と亮さんは語る。
戦後から続いている時間と、多くの客の息吹が年輪のように刻まれている「おもろ」。民芸と食を通して、現代と伝統が融合した新しい「文化交流の場」を目指している。
(元澤一樹)
那覇市壺屋1-6-23 知念ビル1階
営業時間=18:00~22:00
定休日=不定休(要問い合わせ)
TEL 098-959-8358
https://www.mingeisakaba-omoro.com/
(2024年3月14日付 週刊レキオ掲載)