1975年5月24日に開業した那覇市の沖映通りにあるみどり立体駐車場が6日、老朽化による建て替え工事のため、閉業した。
当時は珍しかった立体駐車場で、米軍占領下から続く右側通行に従い、駐車場の敷地への出入り口も車は右側通行。戦後、沖縄の復興の象徴で「奇跡の1マイル」と称された国際通りと、その周辺の変遷の中でも変わることなく半世紀運営を続けてきた。
同駐車場を運営する糸嶺商会によると、駐車場跡地の半分を平地の駐車場(約50台収容)にして今年9月に開業する。残り半分に約150台収容の立体駐車場を建て来年3月ごろに開業する予定。
みどり立体駐車場は1975年、県内初の大型スーパー「ダイエー那覇店」(ダイナハ)の開業に合わせて、集客を見込んで建設された。当時は米国式の右側通行だった交通体系が日本式の左側通行に変わった1978年7月30日の「730(ナナサンマル)」の前。車両の入り口も右側にして整備された。
当時、沖縄のメインストリートとして発展を続けていた国際通りの駐車場は不足していた。収容台数は約350台だったが、駐車場を運営する糸嶺商会の糸嶺篤秀社長によると駐車を待つ車で約600メートル離れた国道58号まで渋滞が発生したという。
72年から沖映通りにある沖縄そば店「むつみ橋 かどや」で店主を務める石川幸紀さん(68)は「70年代後半はみどり立体駐車場が車でいっぱいだった。駐車場が空くまで、そばを食べて待っていたお客さんが結構いた」となつかしそうに振り返る。
敷地への出入り口を日本式に逆にすることも一時検討したが、駐車場の建物に入る車と出る車が敷地内で交差し事故の危険が高まるとして断念した。
今世紀に入り、駐車場の運営は周辺店舗の閉業や開業の影響をもろに受けた。2005年11月20日にダイナハ閉店後は、利用客が激減。「お先真っ暗だった」と糸嶺社長は頭を抱えたが、救世主が現れる。4年後の09年4月24日に大型書店「ジュンク堂那覇店」が新たなテナントとして開業。客足が戻るのを目の当たりにし「夢のようだった」と安堵(あんど)したことを振り返った。
糸嶺社長は「建て替え工事で閉鎖することを聞きつけたのか、お客さんが駐車場の写真を取りに来ていて驚いた」と笑う。糸嶺社長は「新しい駐車場も多くの方に利用してほしい」と話した。
(狩俣悠喜)