2010年の美ら島総体。中部農林高が相撲競技の団体で24年ぶりに決勝に進出し、準優勝を果たした。後の横綱・照ノ富士を擁する鳥取城北高に決勝で敗れたものの、先鋒(せんぽう)・山本浩太が鳥取城北高の木崎信志(後の美ノ海)との県勢対決を制し、地元を沸かせた。この快挙を導いたのが、総監督で県相撲連盟副理事長の木﨑智久(60)だ。多くの県勢力士を育て、県内相撲の土台を築いてきた。
■沖縄力士の取り口
木崎は奄美大島出身で名門・日大では全日本学生選手権で団体4連覇、個人でも体重別で2連覇した。171センチ、128キロと小柄だが、鋭い出足で前みつを取ると多彩な技で大きな相手を倒した。その取り口は、小兵ながら現在幕内で活躍する美ノ海と似ていた。
県相撲連盟4代会長の糸数昌禎はこの攻め口を見て、全国と比べ上背がない県出身力士の手本になると考えた。「木崎みたいな選手を育てれば沖縄も全国に通用する」。1987年の海邦国体の県勢強化のために、木崎を沖縄に呼んだ。
87年に沖縄に移住して中部農林高に赴任すると、相撲部を88年に立ち上げた。自ら土俵を作り、沖縄市の自宅を寮にし、“相撲部屋”のように教え子と寝食をともにした。隣家で育った美ノ海は「中部農林のお兄ちゃんたちにかわいがってもらった」と懐かしむ。
木崎一族は全国でもその名が知れられている。兄は日大監督の孝之助で、兄弟で日本相撲連盟の理事を務めている。おいに美ノ海と、美ノ海の弟で県出身6人目の関取となった木崎海(本名木崎伸之助、けがで20年に引退)がいる。2人をはじめ、多くの県勢力士が日大で稽古を積んできた。
■次世代へ
昨年11月の県民体育大会に出場した選手や審判員のほぼ全てが木崎の教え子だ。美ら島総体の時に監督を引き継いだ小濱寿(44)もその1人。木崎に憧れて高校教諭となり、恩師と同じように自宅を寮に変えた。「先生が作ったものを次世代につないでいきたい」と話す。
伊江島出身の小濱が木崎と出会ったのは伊江中2年の時だ。合宿で伊江島に来た木崎に胸を貸してもらい「これまでの稽古とは違う感触があった」。基礎を重視しており、すり足や四股など教わったことを繰り返すうちに、ある時から上級生にも負けなくなった。中3の時、九州総体で県勢初の団体優勝を成し遂げた。
「全国トップクラスの指導を沖縄にもたらしてくれた。今でも木崎先生から教わったことが指導の中心になっている」と教えを受け継ぐ。小濱の“相撲部屋”からは大相撲にいる伊江村出身の島袋(本名島袋偉海)=三段目=らが出ている。
大相撲にいる沖縄出身力士の人数は、2022年に46年ぶりに2桁に達し、今回の春場所は11人が戦っている。中部農林高の卒業生にまで広げると与論島出身の千代ノ皇や、力士以外には幕下呼出の重次郎(宮城圭佑)も活躍している。
沖縄ガスで働く山本など各方面で活躍する教え子が週末になると母校を訪れ、後輩に胸を貸す。木崎は沖縄に来る時、教え子が小中高の各世代の指導者になり、自分は引退する計画を立てていたという。3月の定年退職を前に「計画はその通りになった」と笑って話した。
(敬称略)
(おわり)
(古川峻)
※美ノ海(木崎信志)、木崎海(木崎伸之助)の「木崎」の表記は共同通信に準じています。
※注:木崎智久の「崎」は、「大」が「立」の下の横棒なし