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水球GKの棚原 石垣島生まれ、強い沖縄愛 母ゆずりの「ゆいまーる精神」司令塔で発揮


水球GKの棚原 石垣島生まれ、強い沖縄愛 母ゆずりの「ゆいまーる精神」司令塔で発揮 石垣島で撮影した棚村さん一家。後列左から父の政行さんと母の京子さん、前列左から長男の隆行さん、三男の克行、次男の英行さん(提供)
この記事を書いた人 Avatar photo 古川 峻

 棚村克行は石垣市出身の京子さん(65)と早大名誉教授の政行さん(70)の3人兄弟の末っ子として石垣島で生まれた。沖縄愛は強く、毎年のように県内強豪の那覇商高で後進の指導に当たる。「今年も沖縄に行く。島出身でも世界で活躍できることを沖縄の子たちに見せたかった。ちょっとだけ見せられたかな」と笑顔で語った。

 父母の出会いは偶然だった。政行さんが早大2年の時に石垣島に旅行した時、台風で身動きが取れなくなった。宿泊先で島の人に頼まれバレーボールを教えに行くと、体育館に八重山高生の京子さんがいた。2人は文通を続け、京子さんが上京した後に結婚した。

 棚村は小学時代は夏休みを毎年石垣島で過ごし、政行さんが弁護士として石垣島の字有地を巡る訴訟に携わった時期も里帰りしていた。

 兄の英行さん(36)に憧れて明大付中野中で水球を始めたが、兄の影に隠れ出番は来なかった。中学3年の時、棚村は「水球をやめて石垣島の高校に行きたい」と父に話したが、政行さんは「つらいから、きついからと逃げてはだめだ」と立ちふさがった。

 水球を続け、筑波大在学中に代表入りし、16年のリオ・デジャネイロ五輪で兄に代わって正GKとして出場を果たした。政行さんは「司令塔で指示を出し、お母さん譲りのゆいまーるの精神も身に付けた」と喜ぶ。3度目の五輪を終え京子さんは「体格差を感じさせないプレーに世界の人が感動した。チームにご苦労さまと伝えたい」とねぎらった。

 (古川峻)